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三低を考える

40年ほど前日本経済はとても好調だった。バブル経済が訪れ株神話と土地神話を誰もが信じていた。神話がまかり通るとだれもが幸せになれると信じた。東京に住む若い女性のあこがれは三高というものだった。三高とはなにか。

高いが三つそろっている。まず学歴が高いということ。受験でがんばる。国立大学をはじめ東京にある有名私立に入学することだった。いい大学を卒業するとついてきたのが高い年収ということ。高い年収は有名な大企業に入れば実現する。三菱、三井といった名の知れたところに就職をするのがゴールだ。そして背が高いこと。身長が175センチ以上あること。であればかっこよく見える。三つそろうことが女性のあこがれだった。

先日女房から変わったことを聞いた。最近は三高などとはだれも考えていない。東京の女性はむしろ三低を求めるものだという。はて、三低というのはなにか。調べてみた。

それは結婚の際に条件となる3要素「低姿勢・低依存・低リスク」の略だという。そのまま引用してみよう。

まず低姿勢。女性に対して丁寧だということ。威圧的でないこと。誰に対してもまんべんなく尊敬をする態度をとること。攻撃的であってはならない。

次に男性パートナーに身の回りの家事を頼らない。これを低依存という。パートナーに要求せず頼ることなく自分でかたずける。掃除、洗濯、育児、食事の支度。自分でなんでもやることだ。当然パートナーも自分でやる。その方が老後も助かる。

そして低リスク。リストラや事件・事故に巻き込まれないこと。病気にならないことも含まれる。危険を回避し事なかれ主義をつらぬく。

さてこれらをどう考えるか。わたしはどちらかというのこの考え方に賛成である。その理由をいくつか述べてみよう。

ひとつには三高というのはもうありえない時代になった。だれもが失敗を経験することになった。たとえ名の知れた大学にいったとしてももらえるのは卒業証書だけ。そこでなにをしたのかはあまり問われない。大企業であってもそれほどいい年収がもらえるわけではない。そこにいることはいるが仕事をするわけでもない。転職するわけでもない。そういうひとが増えた。そして背が高いというのは遺伝。育った環境や栄養によるものだから与件である。達成できるかどうかはわからない。

そもそも三高は成功するものの要件だった。これは昔の話。三高を否定して三低を肯定する流れになった。成功など考えもせずひたすら安定をして円満な家庭生活を送りたい。そういうものだ。悪くない。家庭生活を考えてみよう。

夫が低姿勢で丁寧に接してくれば夫婦喧嘩というものはかなり減る。丁重に話し合いをしながら物事を決める。子供のことでももめない。理想的だ。わたしと女房のように結婚34年、3日1度の割合で喧嘩することもない。そしてわたしは喧嘩して女房に勝ったことが一度もない。負けてばかりだ。

この負けというのがなくなることはすばらしい。ごめんねといって謝らなくてもすむ。低姿勢というのは円満な家庭生活の大切な要件になろう。

低依存というのはいささか疑問が残るものの賛成する。わたしは女房にたよりきっていたので反省。しかし料理は自分でABCクッキングスクールにいって学べばいいではないか。新橋のスクールはいつもいっぱいである。ふとんの上げ下ろしも自分でやっている。掃除も苦手だったけど少しづつ始めた。トイレも汚さずにするようになった。

ひどいときは女房に服まで買ってきてもらった。そして体格が同じの息子の古着を着ていたこともあった。ときどき息子の方がいい服を着るのでだまって箪笥から出して日中来てやろうかと考えた。ある時はだまって箪笥にしまっておけば見つからないだろうくらいに考えていた。そういうこともせず自分で服を買ってくればいい。

低リスクというのはさらによい。リストラに巻き込まれたらとんでもないことになる。わたしが外資系IT企業でリストラにあったのは40歳のときだった。家のローンを組んだばかりで3千万近い借金があった。8年後にはリーマンショックがあった。それでもローンが返済できたというのは奇跡に近い。

事件・事故に巻き込まれれば心理的にも疲弊する。それから回復するには数年かかる。場合によっては数十年。運が悪ければ完全にもどることなどなく一生を棒に振ってしまうかもしれない。そうなってしまうと円満な家庭生活どころではなくなる。事件・事故を回避し争いから遠く離れたところにいく。とてもいい考えだろう。

この傾向がデータによく表れている。経産省が令和4年5月に発表した未来人材においてもはっきり出ている。参考までに載せておこう。

経産省 未来人材ビジョン 令和4年5月

だだしわたしは三低とは真反対のことをしてきた。常に挑戦をかかげがんばった。三高というよりは自然にそうするしかなかった。生きていくためには。そして家族を養うためには。しかしそれでも限界というものはある。いまは成功などしないひとが多い。

高望みをせず成功など考えず挑戦せず事なかれで過ごす。いいではないか。丁重に頼らず安全に過ごすことが三低というもの。パートナーといっしょでもひとりで生きていく。いい考えだろう。これはこれからのひとたち、特にZ世代(10~25歳)にとっては現実的な考えといえよう。

楽に過ごそう。さて読者の皆さんはどうだろうか。