社会人大学院のお話ーその③-

立命館MBAの概要

 当時の研究科は、研究者向けの経営学研究科と実務者向けの経営管理研究科への2分をする移行期間で、経営学研究科も社会人コースもあったが、それをなくしていこうとしていた。15年前の話なので、今はどうなっているかわからないが、あくまでその当時の話をしたい。経営管理研究科においては、京都の二条が会計大学院として、公認会計士免除向けであり、大阪の淀屋橋は経営大学院の位置づけであった。プログラムとしては、ファイナンシャルプランナー(AFP)の試験免除も出来るようになっており、個人あるいは小規模の顧客を持つ僕としては打ってつけであった。僕が所属したのはアカウンティングファイナンスコースで、他にもマーケティングや人的資源管理など、重点に学びたいものを核として、多くの科目が用意されていた。例えば、証券投資論のように一本化される講座は、株式投資戦略と債券投資戦略に分かれており、詳細に学べるようになっていた。そして、当時では珍しいと思うが、年を4つに分けたクォーター制であり、3時間授業の8コマで2単位が取れるようになっていた。これは専門職大学院ということもあるのかもしれないが、50単位(そのうち課題研究、いわゆる論文指導が8単位)だったので、結構な履修である。通常、修士課程では単位が22単位と論文指導が8単位の計30単位なので、学習量の多さがお分かりかと思う。
 こうしたプログラムの中、実務家教員も東京方も招聘され、研究者教員と実務家教員のハイブリットでビジネススクールが構成され、多くの社会人が集うことになる。

さあ、受験

 僕の読みは、初年度の入試は緩いだろうと思っていた。緩いというのは入試が容易で通りやすいという意味である。事務局とはいろいろと相談を受けていたから、電話でしかなかったけど、信頼関係のようなものが既にあったように思う。事務局がどうかというのは、ポイントである。同じ社会人同士わかるものだ。僕の私論だが、偏差値が低い大学ほど事務局が悪いような気がする。これは経験上のことであるから、僕個人の感想。事務局が悪いと苦労するので、よくよくそこは注意するといい。
 閑話休題。受験することは決めていたが、話を聞くとどうも社会人入試(推薦)が適用できることが分かった。ただし、僕は自営業だったので、親が社長なのでどうかと思っていたが、大丈夫だという。社会人の推薦入試だと書類と面接で済むというし、こちらの方が有利だということがわかり、これで挑むこととした。もしこれを知らなければ、僕は落ちていたに違いない。当時は経営学に関して全くの無知であったし、畑違いって言えばそうであるし。まあこれも情報戦か。やはり事務局が大切だと思う。
 こうしてあれたこれや願書に記入して、提出した。入試会場は、滋賀県の琵琶湖キャンパスであった。

琵琶湖へ

 前のnoteで書いたように、立命館=滋賀というのが想像もつかなかったが、南草津の駅を降り、バスで琵琶湖キャンパスに向かう。面接だけとは言え、何が聞かれるのかもわからないし、それなりに緊張をしていた。
 同じ社会人推薦入試を受験する人と待合いで話をする機会があり、どうだのああだの、話した覚えがある。後に同級生になるわけだが、やはりこの時、話せたのはよかったように思う。
 僕はその彼の次に面接を受けた。彼の面接は15分くらい面接時間があったが、結論から言うと、僕は5分程度だった。落ちたと思い、失望して広島に帰った。何故か、聞かれたことは、①どうやって通うのかということ、②岸保という名字が珍しいということだけで、内容の質問は皆無。後に面接官の先生に入学後、聞いた話だが、通す気でいてくれたらしい。たぶん事務局も推薦してくれたのだろう。僕への質問は何も覚えていないようだったが・・・。なので、この面接の話はこれから社会人大学院へ進学する人には何にも役立たないと思うが、これも「運」である。勝負事はやはり「運」も大切である。何はともあれ、新生活。週末の学生生活。広島⇔大阪の生活が始まることになった。
 もうその時は不安より期待感が大きかった。若かったのは大きかったのではないか。そして独身だったから身軽でもあったし。まあそんなこんなで新たな春、大阪へ!  ・・・・続く

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