社会人大学院のお話ーその②ー

ここへ決めた・・・、また振り出し?

 TAC会計大学院は、公認会計士の試験免除プログラムが組み込まれており、短答式の試験が免除されるように設計されていた。加えて、ビジネス科目が用意されており、バランスがいいなと感じていた。公認会計士になろうなんてことは思ってもいなかった。会計を中心に学べるという意味で、興味は沸いたものだ。何より説明会での斎藤社長の情熱はなかなかのもので、こうした新設の大学には可能性があると思ったものだ。この点、学校名は気にならなくなっていた。名より実というか、そういう考えにシフトしていたし、過去をリセットする意味では、これからの、新しい大学というのは魅力的だった。
 行く気満々で進んだ進学だが、秋だったと思う。大学院の認可が下りないという。来年仕切り直す、つまり開設が1年延びるわけだ。これを待てば、30歳。29歳は終わるのではないか。20代で新しい海に飛び込む。だから決断できる。そう思っていた僕は、ここでTAC会計大学院への進学は諦めることになる。その後、大学院開設を取りやめ、TAC会計大学院は幻の学校になったが、あの情熱があればうまくいったのではないかとも思う。後の祭りである。
 閑話休題。また振り出しだ。僕の誕生日は11月。29歳になる。20代の棚卸が始まる時だ。さあ、どうする?

 九州だ!福岡に進路変更!

 また振り出しか・・。大阪は相性が悪い。関西は縁がないのだ。じゃあ風は南から。九州の舞台はどうだ。正直、東しか向いていなかったので、南下はまったく考えてもいなかった。心機一転、福岡、九州に行こうと考え、調べることになった(後に政策学校一新塾<福岡>に通う、今は福岡では開講されていない)。
 出てきた選択肢は、九州大学のビジネススクールだ。これもよくプログラムがされており、魅力的な構成だった。他も見たが、それ以外の選択肢はなかったように記憶する。早速問合せ。僕の性格は、思い立ったが吉日。こうした行動力は早い。メールと電話で、詳細を調べることになったが、どうも週末通学で学位が取れそうにない。少なくとも金曜日の夜を含めても、終了できないかと思ったが、カリキュラム上、無理であった。絶望感漂う。僕には行く場所がないのか・・・。地元広島、消極的な選択肢。これしかないのか、もうダメか。こういう気持ちで進学して何になろう。いろんなことを思いめぐらせたら、11月の誕生日を迎えた。外は冬。寒い季節が到来し、独身の僕には、一人ぼっちの冬を過ごす。明るい未来は存在しないのか。関西も広島も九州も、僕の停留する港はない。空を見上げる。寒さは身に応える、29歳の冬・・・。

 ふと出てきた立命館

 そうは言っても、20代で自分を変える。今しかない。林先生ではないが、「いつやるか、今でしょ?」。ノリはそんな感じ。2005年にはもちろんそんなフレーズは知らないけど・・。
 思いなおして、大学院調べることにする。雑誌・書籍の新情報はそうないだろうと思い、インターネットで検索することにした。もちろん、本屋でも情報は当たった。出てきたのが立命館大学だ。関関同立の一翼である。当時の認識は、京都にある総合大学くらいしか情報を知らない。調べてみると、滋賀県琵琶湖・草津キャンパスに多くは学部が移動していることを知る。滋賀県?まったくの想定外の出来事である。それはそうとして、今回、その立命館が社会人大学院を開設らしい。場所は京都の二条と大阪の淀屋橋。よく見ると、大阪で受講でき、週末で学位も取れそうなことがわかった。その時、たまたま見たホームページ。当時のホームページが今のような立命館の赤基調のものではなく、ほんと簡易的なものだったように記憶する。関西に再び舵を切る。メールと電話。すぐに事務局へ。立命館の事務は非常に丁寧で、好印象。ほんとよくしていただいた。当時、やはり遠方からの学生は想定していなかったんだと思う。僕も行けるかどうか、新幹線の時刻表も見ながら、通学のシミュレーションをしてみた。時間割も暫定なものでいいから、教えてくれと伝え、概ねの年間計画を立ててみた。何とかいけそうだ。一つネックなのは高額な学費。
 当時、2年間で360万円という学費であり、ここはどうしようか。リスクとリターンがどうバランスが取れるのか。でも、29歳、決断との時。1月の中旬だったように思う。願書を取り寄せた。 ・・・・続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?