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分業が前提、垂直分裂的-地方政府の投資促進 大橋英夫・丸川知雄『中国企業のルネサンス』2009

正式タイトルは「叢書中国企業問題群6 中国企業のルネサンス」岩波書店2009年である。フィールドワークに強いお二人の共著から学べることは多い(写真は文京区小石川3丁目界隈 2019年10月30日)。

最初に、政策目標を実現する手段として、また財政収入源として国有企業を作ろうとする志向性は、清朝以来以来連綿と続く伝統だという指摘にはっとする。p.41 これは岡本隆司もいっていたな。⇒岡本隆司『近代中国史』2013

つぎにソ連モデルの国有企業が独占と垂直統合を特徴とするのに、分散的で競争的な産業組織、他社との分業が前提で成り立っている垂直分裂的な構造が中国モデルの特徴で、その構造は、1960年代、1970年代に形成され、80年代の改革開放政策のもとで強まったという指摘 。 pp.45-46  計画経済では競争は必要ないと考えられた。・・・確かに。しかし競争がなければ品質や顧客満足の向上ははかれないのではないか?

中国モデルが、「三線建設」「小三線建設」「五小工業」「経済協力区」政策など目的は異なるが、地方政府に鉱工業投資を促す政策がとられとことが原因になっていること、その結果として各地方政府がそれぞれ国有企業を傘下に抱える中国独特の国有企業モデルが1970年代にはできあがった。pp.49-50  (三線建設*とは中国の内陸部に鉱業、重工業、軍事工業を作り上げるプロジェクト。小三線とは戦争に備えて各省に兵器工場を整備するという構想。五小工業とは、農業の機械化を推進するために各地方がそれぞれ小型の製鉄所、炭鉱、機械工場、セメント工場、化学肥料工場をもつことを奨励する政策。経済協力区は1970年から実施。持久戦に備えて、全国を10地域にわけてそれぞれが製鉄所、軍事工場、機械工業、エネルギー産業、化学工業をもつなど自己完結的な産業構造を形成すること。)
*久保亨さんは、外敵に攻め込まれた場合、沿海部と国境が第一線、それに連なる平野が第二線、さらにその後方に広がる内陸山間部を第三線として抵抗態勢を築こうとしたものと説明されている。久保亨『社会主義への挑戦』岩波書店2011年, p.125

中国モデルには、規模の経済性が犠牲にされる不効率な面とともに、実は生産拡大に取り組む競争性がそこにあったという指摘。pp.51-57

国有企業の株式会社化については、出資関係に代えることで、資本金を使い尽くしたら破産という「退出」のルールを決めるものであったとする。p.64

更に株を売って出資者を増やして規模を拡大できること、株主総会、取締役会といった企業統治の仕組みがあること、などのメリットも株式会社化にはある p.64   大変わかりやすい説明。

そのあと共産党の説明がでてくる。現在も国有大企業について人事権をもっていると。p.67 ただここで疑問はでは民間企業において共産党はどのように機能しているのか?という疑問だ。これが続く大橋の記述には一言もない。

非流通株の問題は、なお2009年段階で解消されていないと明言している。p.70

民間企業のところ。改革開放後も私営企業では政府につぶされるリスクがあり、それが解消されたのは1997年の中国共産党大15回大会で民間企業が公有企業と同格とされて以降とする。pp.84-85

1980年代前半までは社隊企業(自治組織あるいは農民が設立した企業の総称)、人民公社が郷、鎮、村の改称されるとともにに名前を変え郷鎮企業。その中に村長や村の書記などが経営する政経一体型郷鎮企業がある。この形態は改革開放初期は企業の発展に有利。しかしやがて政経一体が経営のあしかせになるようになると、1990年代以降、政経一体型郷鎮企業の影は薄くなった。pp.85-89

改革開放の後半期になって、企業の成功に対する貢献を所有面で評価することが可能になると、経営者が経営を請け負う、あるいは、民間企業で地元政府の出資を受けるなどの形の,半民反公の郷鎮企業が、株式会社に転換して成長するようになった。それは経営陣の自立性ややる気が確保されたからとしている。pp.89-92

非常に多くの事例、それを支える膨大なフィールドワークが本書の記述から想像される。学ぶべき点は多い。

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#中国モデル #株式会社 #三線建設

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