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楊小凡「尋找花木蘭」『収穫』2013年第6期

 この小説は5年ほど前に中国の短編小説を読み始めたときに、最初に読んだ小説で思い出が深い。以下はその要旨。原載『収穫』2013年第6期。『中国当代文学経典必読 2013短編小説巻』百花洲文芸出版社(南昌市)2014年pp.266-276より。なお著者の楊小凡(ヤン・シアオファン)は1967年4月生まれ。安徽省亳州の人。1986年から創作を始めた。教師、記者などの社会経験がある。(見出し写真は電通本社ビル)

 1年前に艾文化(アイ・ウエンホア)から電話を受けた時、私は本当に驚いた。中学2年の冬に分かれて以来、30年以上、一度も会っていない。
  多分彼が大学に受かった後のことだったが、手紙を受け取り返事を書いたが更なる手紙はなかった。その後、大学卒業後、省の人事庁に配属されたとの、最初の電話があった。その時、私は師範(大学)を卒業して農村の中学に配属されたばかり。なぜその学校にいることが分かったのか、分からない。その後、また彼は音信普通になった。さらにその後、私は省都に行ったとき、職務名称のことで彼に助けてもらおうと人事庁に初めて電話した。(しかし)電話に出た人がいうには、艾文化という人はいないと。
 それからまた20年余りが過ぎ、約6年の暖かな春の夜、私の携帯が鳴って取ると艾文化だという。その夜、彼は酒を飲み過ぎているようで、話は二転三転、副所長になったので、必要なときには彼を頼ってくれと言う。私は教師を辞めて深圳にきて10数年、自分の会社もあり、ほとんど地元に戻っていなかった。その後、必要なことが出来て、数日後のことだが彼の携帯に電話すると、その携帯は使用が中止されていた。その後は仕事が忙しく数年が過ぎたのであった。
 私が彼と初めて会ったのは1974年正月、春節の後、小学3年開始のときだ。彼は農村に下放された両親に連れられて、都市部の小学校から転校してきた。彼はクラスの孫先生の指示で私と机を同じにすることになり、以来、私は少しずつ彼のことを知ることになった。彼は放課後、同窓生のように騒ぐことなく、話し方も違っていた。
   同窓生にとり彼の存在は疎(うと)ましく、すぐにみんなが彼を「焼包」(自慢屋、気取屋。燒的。豊かであることで興奮したり自信過剰になり言行を適切に行えない人物)と言った。2週間も経つとなおみんな彼を避けたが、のちにはそうでもなくなった。ある日の放課後の昼、クラスで最も利発な女の子の劉玉蘭は突然、「艾文化は右派の子(右派羔子)だ」と大声で言った。すぐにクラス全員が「右派の子だ」と叫び、劉玉蘭は艾文化の耳を引っ張り続けた。騒ぎは孫先生が来るまで続いた。
 学期も半ばになると、突然、艾文化は放課後、皆と騒ぎ始めた。秋が近くなった、ある日の休み時間に、艾文化は「俺は砂糖菓子」をもってるぞと大声で言った。片方の手をポケットに入れもう片方の手でそれを抑えた。劉玉蘭を先頭に皆が艾文化を追いかけ、最後に艾文化は倒された。劉玉蘭は片方の足で彼の片方の足を抑えて、手を彼のポケットに伸ばした。そこで艾文化が「それは俺の金玉だ」と叫んだ。その日、彼は股のところを抑えて半時間泣いた。孫先生が劉玉蘭を諭すと彼女はこう答えた。「かれは騙したのよ。ポケットに砂糖菓子があると言ったけど、私が手を伸ばしてみると、何もなくて彼の金玉をつかんだの」。クラス中が大笑いした。
 1年前に艾文化が電話してきたのも、劉玉蘭に関係していて、私を驚かせた。その電話でも、彼は酒を随分飲んでいるらしく要領をえなかったが、彼は私の実家のある県の(党)委員会副書記になったと言い、小学校や初等中学の同窓生、とくに女子同窓生花木蘭(劉玉蘭)の近況を聞き、花木蘭(ホア・ムウラン)を探して彼女を助けたいという。彼は小学4年の時、彼女が好きになり、どうも彼女の30年余りの軌跡をとても詳しく知っている。彼女との連絡方法を探すのを手伝った欲しいと。その時、私は驚いた。一つは彼がずっと彼女を想い続けていたこと、そして二つはとても詳しく軌跡を知っているのに、なぜ彼女の電話などにたどり着かないのかと。
 小学4年の春に体育で砲丸(鉄餅)投げの授業があり、そこで劉玉蘭が投擲をみせようとしたとき、砲丸が艾文化の左目の上にあたる事件があった。それから夏が終わりその傷がいえるまでの間、劉玉蘭はすっかり変わっておとなしくなり、艾文化に親切に接したが、その後はそれほどではなくなった。
 1976年の春節に我々は(小学5年を経ずに)初等中学に直接進学した。その春節の時、学校の前に突然舞台が組まれ、芝居が行われた。実は劉玉蘭はとても早くから芝居、河南省の「豫劇」を学んで「花木蘭」を歌った。学校が始まって数ケ月、先生は彼女は退学して、劇を学ぶために劇団(劇班)に進むことになったと言った。
 初等中学2年の冬の日。艾文化は話があるという。彼が言うには、彼の家は都市に戻ることになり、ここでは進学しないと。そして頼みがあると。今夜、龍湾集で芝居があり、そこに花木蘭が出演する。彼女を探すのを手伝って欲しいと。・・・そして私と艾文化は、なんとか花木蘭を探し当てる。艾文化はのどによい甘草を彼女に渡した。
 あの電話から1ケ月余り後、艾文化から又電話があり、県委員会の副書記をしており、また龍湾集に行き、人に頼んで花木蘭の消息を調べたと。伝え聞くところでは、老人と結婚し子どもはできたが、離婚した、子供は十何歳かで死んでしまった。豫劇は聞く人がいないので彼女は流行歌曲を歌うようになり、大歌劇団に随行して南方に行き、街頭に出ている。彼女はさらに結婚し二人の子供ができ、また離婚した。その後、彼女は南方の都市で夜歌い、子供は実家で母親が見ている。数年前には病気になり、落ちぶれて小さな町にいる。
 聞きながら、私は半信半疑だった。私は時が経つのが早いことを想った。そうしたとき、携帯が鳴った。艾文化だった。ついに花木蘭を探し当てたと。彼女は病気でもはや美しくないと。彼女に会って後悔していると。-
 この時の電話は1時間弱。彼は(この話を)終える意思がない。そして彼の話はすべて本当かどうか。わたしには夢のように思えた。私はこの電話の後、少し怖くなって彼の電話番号を遮断した。その後、購入契約を1件決めて、喫茶店で一服していると、携帯が鳴った。なんとまた艾文化だった。
 今回彼の声は低く、時々途切れそうだった。ー花木蘭は重病で病院に居て死にそうで、絶えず彼に金を求めて来る。ただ自分もあまり金がない。10年前に離婚して娘たちに養育費がいる。社長だという君に頼む。彼女に金をやって、俺を彼女から解放してくれと。
 電話が終わった後、私の心は苦いものだった。これは本当だろうか。本当なら、自分は資産があるし、彼女は同窓生。助けようか。しかしそこでカネを出しても、彼女や艾文化にまといつかれるのではないか。実の所、私はカネが惜しいのではなく見ていないものにまとわれる(缠上)ことが怖かった。そこで私は、二人のことをもう考えないことにした。
 艾文化の電話から十数日経って、私は見知らぬ女性からの電話を受けた。彼女の話は早口で要領を得ないものだったが、艾文化は彼女を2年間騙したという。彼は人事庁の所長だと言ったが嘘だった。彼女に結婚を約束したが、実際今は花木蘭という女と一緒にいると。艾文化は精神病で大ウソつきだと。彼女になぜ私の電話番号を知ったのかと問うと、艾文化の携帯で見たと言い、艾文化はいつもあなたを自分の親友だと言っていたと答えた。
 この女性の電話のあと、三十数年の間に艾文化に何があったのか、花木蘭と彼はどのような関係なのか、と考えた。ただ艾文化とはもはや連絡を取りたくなかったので、花木蘭の情況を知ろうと考え、昔の友人に電話したが、あまりに昔のことで分からなかった。しかしそのうち時間が経つと、このことへの興味は薄れていった。
 2ケ月前に購入契約があり、喜びはしたがためらいもあった。契約のため、艾文化がいるH市に行くことになるからだ。
 H市に行き、まずはお客さんと仕事の話をして契約を済ませた夜。ホテルでテレビをみていると、その番組に女性が現れた。彼女は劉玉蘭だと名乗り、芸名は花木蘭、今はブティックの経営者だという。私はすごく驚いたが、確かに昔のおもかげがある。テレビ局に何とか電話を入れて事情を話して、花木蘭の電話を待つことになった。
 ホテルを出て歩行者天国(歩行街)を歩いているとき、電話が鳴った。花木蘭の話では、もう彼女は舞台では歌っておらず、離婚して、省都で商売を始め、今は幸せな家庭がある。ー艾文化の話と合う所もあるが、肝心なところが違う。十数分話して明日昼に会おうと約束したあと、艾文化と会ったかと聞くと、なかなか彼のことそのものを思い出さない。再三言うと、(金玉と砲丸の)二つの事件とともに彼を思い出した。その夜、私の関心は艾文化に移った。
 翌日朝、食事もとらず、車を拾って人事庁に行った。まだ出勤時間前で年老いた守衛が居た。私はおずおずとたばこを勧めて「同志、ここに艾文化という人は勤めてますか?」と聞いた。守衛はちょっと考えすぐに「そんな人はいないよ」と答えた。私は焦って笑っていった。「兄さん、よく考えて、艾という名字、副所長で四十五六歳で」。守衛はじっと私の目を見て、手のたばこを下に下ろした。彼は突然「あんたは彼とどういう関係なんだ?」と大声で言った。「小学校の同窓生です」「小学校の同窓生なら聞いていないのか?3ケ月前に飛び降り自殺したんだ。彼の娘さんも精神病になって、いつもここにきて騒ぎを起こしているんだ」と話しながら首を振った。「彼は下級部門の職についたんじゃないですか?なんで自殺したんですか?」私は焦って聞いた。守衛は少しイライラして眉間にしわを寄せて言った。「それは俺も知らない。この人はずっとおかしかった。聞くところでは抑鬱症だったとか。1年以上前に仕事を辞めざる得なくなったんだ。脳全体に水が入ったんだ(脑子都进水了。頭がすっかりおかしくなったという意味)、どこ(の職)にとどまれるというんだ!」
 私の脳の中には空白ができ、守衛を見つめてどうこたえていいかわからなかった。守衛は私が何も行動するつもりがないことが分かって表情を緩めて言った。「大丈夫か。実のところ、俺も情況は分からない。しかし彼が3ケ月前に自殺したのは本当だ。彼はもういないし、何もかもすべてないんだ。」この時、登った太陽の光が赤い炎になって私の目に差し込んだ。

コメント:このお話の主な登場人物は、語り手である私。私の小学校時代の友人の艾文化(アイ・ウエンホア)、そして劉玉蘭(リウ・ユウラン 花木蘭)である。おそらく、たまに電話をしてつながっている関係の友人を多くの人ももっている。私と艾文化との関係はまさにそれで、小学校3年にときに、艾文化は都市から私が住む農村に、右派とされた両親とともに、下放されてきて、たまたま机を並べることになった。しかし彼は中学2年になるところで、都市に戻ってしまった。その後、彼は大学に進学する。以来、折に触れて艾文化は私に電話をかけてくるようになった。恐らくだが、彼は県の人事庁にいたので、私の電話を調べることができたのではないか。そして1年前のことだが県の副書記だという彼は劉玉蘭の話を始め、彼女が今困窮しているとしてきた。…やがてH市に出張にでた私は劉玉蘭(花木蘭)とたまたま電話連絡がつき、艾文化の話に疑いを深めるようになる。そしてついに私は人事庁にゆき、艾文化がわずか3ケ月前に自殺したことと、長年精神的に病んでいたことを確認するのであった。・・・このお話のうち確実な事実は、艾文化の親が右派として下放され、彼も親とともに下放されるが、やがて親ともども都市に戻り大学に進学して役人となる。私は農村の小学校で艾文化と出会い、その後、師範大学に進学し、教員となるがやがて辞めて起業して成功する。他方、劉玉蘭もまた小学校の同窓であるが、彼女は劇団活動をするため初等中学進学直後の学校を離れ、以来、消息はわからない。それぞれの人生が語られ、それに艾文化のその後、電話で伝えた話が重なる。ところが最後のところで、艾文化が精神病だったことがわかり、艾文化が私に電話で話したことの多くが虚構だった可能性が見えてくる。読み終わって、ふと感じるのは、艾文化を精神病に追い詰めたものは、何だったのだろうという疑問である。子供の時に両親が右派とされて、親とともに下放されたことは精神を病む始まりだったのではないだろうか。
    他方、守衛の人は脳に水がたまったという。これは、水頭症などが想像される。こちらは脳の外傷などからも発症しうるが、症状としては、歩行障害、認知機能の低下、尿失禁などが現れるという。艾文化が精神を病んでいるにせよ、長期間勤めることができ、私に電話をかけたりでき、最後に自身の意思で自殺したということは、彼が長年患った心の病は、この水頭症:脳に水がたまることとは別物と解釈すべきだろう。
 水頭症について


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