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馬寅初 逮捕から釈放まで。1940年12月6日ー1942年8月24日

 馬寅初が、蒋介石のもとで、逮捕され長期間拘留されたことは有名。しかし蒋介石はこの頑固な経済学者を、翻意させることもできず、殺すこともできなかった。逮捕により馬寅初は、共産党サイドに近づくことになった。以下は『馬寅初年譜長編』商務印書刊2012年の1940~1942年の部分pp.363-383による。なお上掲の写真は不鮮明ではあるが、1940年12月8日、憲兵に拘引される直前の馬寅初を中心にして重慶大学で撮影された集合写真である。

1940年3月上旬 陸軍将校への講義において、上上等人(孔祥熙 宋子文)が機密を握ることで外国為替購入で巨額の利益を得ていると非難.将官の喝さいを浴びている。

1940年4月28日 中国経済学社第十五届年会 重慶大学礼堂での学社基金情況の説明において、100万元以上ある基金で外国為替購入を求める社員の意見に対し、国家の危機にそのようなことはできないとし、ひるがえって孔祥熙 宋子文が大量に外国為替を購入して、国難に乗じて財を成している(發國難財)と非難している。

1940年6月以降 立法院会議にたびたび出席。

1940年7月30日 陳嘉庚が蒋介石に対し書簡。4月28日の経済学社年会での馬寅初の発言を国家を危険にさらすものと指摘。これを見た蒋介石が重慶大学校長の葉元龍と馬寅初を呼び出すが、馬寅初は会見を拒否。

1940年10月 孔祥熙からの人を介しての財政部次長あるいは中央銀行総裁に就任の要請にその意思はないと返答。

1940年11月 複数の演講で国難に乗じて財を成している者がいると非難。

1940年12月6日 憲兵団長が委員長(蒋介石)が招見との口実で蓮花池街吳家に連れ出す。重慶大学校長葉元龍が面会。
1940年12月7日 重慶大学校長葉元龍、全校に訓話:馬先生に危険はない、騒がないように。
            12月8日 憲兵に伴われて大学に戻り講演し再び、演講で国難に乗じて財を成している者がおり抗戦を破壊していると非難(集合写真を撮影)。第三戦区の考察に派遣との口実で学外へ。商学院長は長葉元龍が代理。

    12月9日 重慶大学全校師生が礼堂で「援馬大会」挙行。学生は一「授業拒否宣言」を提出。

 1941年前半6月末まで 馬寅初は貴州息烽集中營に勾留された。勾留中、考察,あるいは演講、面会などの機会があったことも確認できる。41年7月以降は数か所を転々と移された。
    なお1941年2月13日の延安《新中華報》(その後3月23日)。3月24日の重慶《新華日報》が馬寅初について報道(その後3月30日)。

 重慶に戻れたのは1942年8月24日。しかし外出には警察への届け出が必要。また重慶大学商学院に再び出校は許されなかった。

 他方で、1942年11月末からは立法院会議への出席を再開している。


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