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韓少功「搶手」『収穫』2016年第4期

 著者の韓少功は1953年1月湖南省生まれ。まさに文革世代でこの小説はその時の長沙での出来事を扱っていて経験談としても興味深い。『収穫』2016年第4期に掲載後、《2016中国年度短編小説》灕江出版社2017年,pp.236-237.搶手は射撃者程度の意味。 

 最初に、訳者の私たちの世代には懐かしいが、謄写版印刷でビラを作って街頭に張り出したという話がある。それは、14歳(1967年)の時だったとする(つまり「文化大革命」の時のお話しが語られる)。当時、印鑑の偽造を行った思い出が続く。すでに学生がタダで共同行動(串聯)をとれる制度(つまり学生が革命活動と称してただで鉄道を乗り回す制度)は半年前に終わっていた。そこで鉄路局の公印を偽造して、広州や北京に友人が行くのを手助けした、というのだ。
 このようなとき学校から町に繰り出したとき、事故は起きた。銃声がして、私は撃たれたのである。当時、どの町の紅衛兵にもいろいろな派閥があり、それだけでなく銃などの武器をもっていた。
 大腿部の後ろから弾丸が入り出血が激しかった。私はトラック(貨卡)に載せられて、病院に担ぎ込まれた。私は結局病院に20日あまりいて退院した。今考えると、病院には白衣を着た一団がいて、夏如海同志と呼ばれる青年の指示にしたがっていた。
 1年余り経って無政府状態はほぼ収束した。私は知識青年の一人として湖南省の茶畑に下放された。夏の暑い日の労働は過酷だったが、新しい生活はとても平穏(安静)だった。町からは幹部がきて、軍の品を隠し持っていないか、学校の公用品を持ち去っていないか、などの調査があった。その後のことだが、警察が私を訪ねてきた。
 お前は、夏如海を知っているか、という。そして夏如海が私を銃撃した人間だという。散々聞かれたのは、夏如海との関係。個人的に恨まれることはあるのか。なぜ、政府に訴えて、この犯罪を追及しなかったのか、など。
 (この調査で)私はこの件は終わったと思っていた。
 ところがそれからさらに4年後のことである。私は全県の湖堤建設の集まりで、見知らぬ女の子と出会った。私のことを細かく聞きだしたあと、彼女は泣き崩れた。彼女は夏如海の妹さんであった。
   夏如海が投獄20年の刑に処せられたというのである。昔、夏如海がまだ子供の時、盗みを犯したのを、酒二本でもみ消してやった、恩義のある派出処長。それを、夏如海はつかまえて司法(公検法)の一員だとして、つるし上げた。夏如海への厳しい処分は、そのことへの警察の報復だと、彼女は言うのである。
 もちろんこれは彼女、夏小梅が語ったところによる。はっきりしていることは、私は体に障害も残っていないことだ。奇妙なのは、控訴が受理されたとの手紙を最後に、彼女が消えてしまったことだ。書面で証言を提供し、いつでも裁判所に出廷して証言してよいと伝えたのだが。
(この最後のところに、1978年前後、多くの人が名誉回復されるなか、判決に納得していない囚人313号が、再審で死刑判決を受ける話がある。この313号は夏如海とは別人で、夏如海は313号ほど不運ではないともされている。この挿入文のあと、次の言葉でこの小説は終わる。)
 夏小梅、もしこれを読んだら、そしてとくに障害がないなら、その後どうしているか、君がみたことと私の話があっているか、教えて欲しい。
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