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吳英案死刑判決 2009/12

   経済犯罪で死刑という判決は、日本から見ているといかにも極端に見える。しかし中国では、そうした事案が実は少なくない。ところで吳英が28歳の若い女性であったこともあり、この死刑判決は全国的な関心を集めた。問題にされた行為は、非法に資金を集める行為で重罪である。しかし民間の貸借(地下金融)は実際には広範におこなわれていること、背景には、民営中小企業が資金難であるのに、金融制度が整備されていない(政府の不作為)問題があることなどから、この死刑判決を批判する意見が全国的にたかまった。結局、この批判は、銀行業への民間資本算入を認める政府の決定をも導いたと考えられている。以下の記述は、吳曉波《激蕩十年,水大雨大》中信出版集團2017年,pp.33-35, 154-155をもとにまとめたものである(写真は、お台場のテレポートブリッジ2021年10月4日撮影)。

 吳英は1981年生まれ。18歳のときは美容院の見習いに過ぎない。しかし間もなく資金の貸借で資産を作り、事業を拡大、巨額の資産を築いたとされる。問題が起きたのは、2005年から巨額の資金を集めるようなっていた(相手方に役人もいた 7.7億元を数百人から集めたとされる)が、2006年末にその返済に行き詰まり、返済を強く求められたことからである。結果として非法に資金を公衆から集めたとの罪名で2006年末に公安局に勾留されることになった。
 実際の裁判は2009年4月に始まり、審理を経て12月金華市中級人民法院は死刑判決を下した。もちろんこの判決には法的根拠があり、過去に死刑判決が出て、実際に死刑が執行された事例もあるのだが、この判決は全国的な注目を浴びることになった。吳英が若い女性だったことも一因だが、吳英の貸付先は、実体経済領域に向かっていたことから、背景に、民営中小企業の借り入れ難に対して政府が有効な対策を打ちださずにいることがあると(また既存の銀行制度が、国有企業への貸付を主たる業務にしていると)、つまり政府の政策にも問題があると指摘された。
 この判決についての議論はその後も続いたが、2012年1月の2審は原判決を維持するとした。さらに4か月後の2012年5月21日の終審は死刑を免じると原判決を緩和して結審した。
   そしてこの判決をめぐる議論は2012年、政府を動かし民間資本の銀行業参入を認める政府判断につながったと考えられている。

 以下も参照した。
    戸田敬久「中国「地下金融」広がる 余剰マネー、高利求めて流入」『日本経済新聞』2011年10月2日(預金金利が消費者物価上昇率の上昇率を下回るために預金流出が生じている。こうした資金の一部と、上場企業の余剰資金、高利回りの地下金融に流入している。役人など既得権益層が資金の出し手とも。法定金利を上回る金利で中小企業や個人に融資融資するものだが、高利のために破綻する中小企業もある。ネットを通じたPtoPは、法定の上限金利規制を除けば規制する法律がないまま、拡大している。)
 金森俊樹「中国「地下金融」が指し示す問題」『大和総研アジアンインサイト』2011年10月27日(指摘されている内容は上記の日本経済新聞の記事と重なる。法的金利上限については銀行利子の4倍以内に規制されているとしている。)
   なおこれらの日本の記事に少し違和感が残るのは、法定金利の問題以上に、「非法集資」という犯罪が問題にされたことが紹介されていないことである。非法集資とは、公衆から預金(存款)を受け入れて、信用保証(担保 擔保)貸付をする行為を指しており、重罪とされている。
    陳乃佳「中国の民間金融問題についての考察」『総合政策論叢』(島根県立大学)第28号2014年9月, 47-62
 福光寛「中国のシャドーバンクについて:郎咸平の議論に学ぶ」『立教経済学研究』第69巻第3号2016年1月, 1-29

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