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朱鎔基 世論による監督を強めよ 2001年12月6日

朱鎔基《加强輿論監督》載《朱鎔基講話實錄第四卷》人民出版社2011年pp.286-291 の前半286-288を訳出した。2001年12月6日、新華通訊社で行われた講話より。写真は同日の朱鎔基である(p.289より転載)。 

p.286 世論による監督を強めることは十分重要である。もしも世論による監督がなければ、現在のこのような行政の力量と政治法律の力量に頼って、当面する多くの重大な問題を解決することはできない。なぜ私は多くの時間を引き出して人民からくる手紙を見、『内部参考』(訳注 人民日報刊の『内部参考』あるいは新華社刊の『国内動態清樣』など党内配付の刊行物のこと。配付される機密レベルに3種類ほどの段階が知られている)を見、『焦点訪談』(訳注 中央テレビ局が毎日夜放送している情報番組のことだと思われる)を見るのか?中央テレビ局は複数のチャンネルがあり、地方テレビ局もみな類似の番組(欄目)をもっており、問題を表面化させ(揭發)、腐敗現象を論評しているが、私はこれはとてもよい状態(事情)だと考えている。「人民日報」の『情報特集(信息專報)』を含め、『内部参考』を私は最も多く見ている。最近、広西省南丹錫鉱山で七八十人が亡くなった。もし「人民日報」の『情報特集』の報道がなければ、私はまだ本当に知らなかった、そこで100人を上回る人が不当にも水底に沈められたことを。その鉱山は南丹県委員会書記、県長など指導幹部が自ら買い上げ、この鉱山を私的に開発したが、いかなる安全措置も施さず、雇った労働者は皆、湖南、貴州の貧しい農民で、死んでも誰も気にしなかった。大水が出て、七八十人が水底に沈んだが、県内では誰も死んでいないと真相を隠した(隱瞞說)。『人民日報』記者の報告(反映)が伝えられて以後、私は直ぐに広西壮族自治区の党委書記に指示した(批給)。私は述べたー『人民日報』記者が報告したところは真実である、どのような方法を使ってでも排水して、生きている人を発見し、死んでいるものはその体を発見、人の命を野草のように扱っては(草菅人命)ならない。排水されると、死体がすべて出てきた。その鉱山の主はカネで買い上げた県長、県委書記、真相を隠蔽した自治区の一級の指導者である。このような問題は、山西の石炭鉱山で何度か知られないで整頓改革され、我々もまた知らずに幾つかの通知、文書を出しさらに人を処分している、しかし事故は依然、最近
p.287  わずか九日のうちにも五回の爆発があり、百数十人が死んでいる。すべて小鉱山主で(鉱山を)買い上げていたのは関連部門の責任者で、人民の生命を顧みず、税金を払わず、責任は負わないで、大量のカネを腰につけた財布にしまい込んでいた。現在石炭の価格は30%高騰し、彼らは大儲けしたが、他人の生命に無頓着であった。これらのことが真剣に暴露されず、厳粛に処理されなければ、これは一体どうなるのか?党の政策がどうして貫徹できようか?私は新華社の『国内動態清樣』の最も熱心な(忠実的)読者である。毎号私はすべて見ている、見たらすぐに意見している。私の印象によれば、私が下に下した意見が完全に事実と異なる(失實)とは誰も報告していない、当然、ある部分はそれほど完全に事実と符合していないことはありうる。それゆえ、『内部参考』『国内動態清樣』の影響(作用)はとても大きいもので、指導者の頭脳を明晰にする助けになっており、我々にどのような問題があり、これらの問題がどの程度発展しているか、を知らしめている。去年(2000年)私が意見をのべたものは200件、今年(2001年)は11月までに200件に達したところである。しかし現在、効果は過去そうであったように良いものではなくなった。意見を述べ始めたとき、下の人たちは皆とても緊張し、指導者は自ら現場に入って調査研究した。現在効果は次第に弱くなり、処理もまた過去そうであった真剣ではなくなった。河南省夏邑縣曹集鄉の規則に違反して資金を集め、役所の建物を建てた件については、郷の指導者に党内警告処分を与えた。私は(報告を)見てからあと、いたたまれなかったのは、この件は刑罰処分に値し、党内警告は問題の解決にならないということであった。私がこの話をするのは、私ががっかりしている(泄氣了)からではないし、皆さんの積極性を損なわせようとするのでもなく、わたしが新華社の『国内動態清樣』それほど重視していないと誤って考えられている、このようにではないと考えられている。皆さんの『国内動態清樣』を私はなお仔細に見ている、結論としてどのように意見を述べるか、考慮すべきことがある。私は効果を重視せねばならない。皆さんは仕事に奮闘され、大量に情況を報告されたものを、私一人が重視しているのではなく、党中央はすべてとても重視し、中央政治局常任委員会は皆とても重視している。皆さんが書かれたものを私は見なければならない、その中で全国の情況が了解される。
 当然、正面報道(積極的報道の意味か?)を主とすることが正しい、この方針を皆さんが貫徹されるのはとても良い。人民群衆の信頼(信心)を失わせてはならない。しかし心の中で思うのだが、7割、8割、9割、問題を表面化させないことはそもそもできないのではないか。世論による監督を進めないことはそもそもできないのではないか。我々共産党員は科学を、そして矛盾を論じ研究する。矛盾が現れないこと、これは事実に会わない。共産党員として、人民の勤務員として、我々は当然全心全意人民のために服務する。人民の苦しみが報告され、かつ不良現象が表面化する、罪状が文字化され譴責される(口誅筆伐)、こうであって
p.288  人民大衆(人民群衆)の支持が得られ、人民大衆の信頼が得られる。もしもただ矛盾を飾り立て、問題が解決されないなら、人民大衆はやはり信頼しない。「鶯が鳴き燕が舞う(鶯歌燕舞)」とだけ宣伝すれば、彼らは信頼すると言うことはできない。彼らは問題が解決したことを見て、ようやく信頼するのである。それゆえ、我々はなお正面報道を主とすべきことを強調し、必ず世論の監督も必要だとする。当然、我々はまた世論の監督はただ決まった作用をができるだけということも知っており、根本の問題は法治である。(また)法治だけでなく、全精神文明の建設も皆とても重要である。全社会がもし信用文化、精神力量、文化力量を建設しなければ、我々の銀行、証券市場はともにうまく行われない。騙して代価を支払わない、借りたカネを返さない、社会信用はないも同然(蕩然無存)である。(以下略)



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