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Chen Yun 陳雲 1905-1995

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 陳雲は、彼が中国共産党の歴史の実質的に全時期にわたりその政策決定の中心にいたことだけからでも、中国の指導者の中で最も影響力と権力があった一人とみなすことができる。彼は1931年から1987年の間、中央委員会に在籍した。政策決定の中枢(Politburo)に40年以上である。組合組織者としての地下活動のあと、陳は長征(1934-1935)に参加した。モスクワの派遣された(a stint)の後、彼は1937年に延安に戻り、そこで自身は小学校以後、いかなる正式の教育も受けなかったという事実にも拘わらず、経済学の領域で活動を始めた。
 1949年以後、彼は、副首相、重工業大臣、そして国家計画委員会において、国家と党の様々な職務を果たした。1957年に、彼は、毛沢東が始めた大躍進計画を批判した数少ない指導者の一人だった。そのため彼は批判されたwas censuredが、1961年に、中国経済を再び軌道に戻すチームを率いるために指導部に呼び戻された。文化革命の間、彼は「資本家」だと批判され、中央委員会の席を除くすべてのポストを外された。
 1977年に鄧小平が権力に戻ると、陳もまた主役を再開した。鄧が広範な経済改革の設計師になった時、陳は自身の古いマルキストの理想に忠誠を続け、それは1980年代と1990年代初期、中国の発展ペースに重要なブレーキとなり、鄧に譲歩を迫るものとなった。陳は「鳥籠経済」という彼の構想visionで最も良く記憶されるであろう。彼の意見によると、中国の市場は鳥のように籠の中に居なければならない。この籠は小さすぎてはいけない。さもないと鳥は窒息してしまうだろう。しかし鳥は籠の中でとどまらねばならない。さもなければ飛んでいってしまうだろう。陳は1987年に正式に引退したが、彼の経済政策決定への影響力にはなおかなりのものがあった。

  高橋満「陳雲の経済理論―もう一つの経済発展戦略ー」『帝京経済学研究』第36巻第2号2003年3月, 29-39
     萩本眞一郎 袁暢「陳雲の経済思想と改革解放初期の政策―制度における経路依存の視点からー」『東京国際大学論叢 商学経営学研究』第1号2015年9月, 25-53+
    福光寛「鳥籠理論そして陳雲(チェン・ユン 1905-1995)について」『成城大学経済研究』第214号2016年12月, 37-72 


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