見出し画像

鄧小平 十三大に向けて 1987/08/29

這是鄧小平同志會見意大利共產儻領導人約帶和贊蓋裏時談話的一部分。1987年8月29日。《鄧小平文選第三卷》人民出版社1993,pp.251-252

 わが国の経済発展を三歩の歩みに例えると、本世紀は二歩歩み、衣食が足りた中等生活(溫飽和小康)に至り、次の世紀の三十年を用いて(併せて)50年間でもう一歩歩むことで、中等発達国家の水準に達する。これは我々の戦略目標であり、遠大な理想(雄心壯志)である。我々の遠大な理想を実現するには、改革しないのは駄目だ。開放しないのも駄目だ。我々が歩かねばならない道はとても遠い。任務はまたとても大きい。我々は刻苦奮闘、心を一つにして建設し、生産力を発展させねばならない。
 今年十月我々の党は十三回党大会を招集する。十三大はつまりは(歸根到底)改革開放の大会である。十三大は我々の党の十一届三中全会以来制定の一連の方針と政策を改めて説明し(重申)、経済体制改革を深化し、政治体制改革を相応に進めねばならない。十三大は指導グループのさらなる若帰りをはかることになるだろう。そうすることで党と国家指導層はさらなる活力を保有することになるとともに、われわれの政策の連続性が保障される。
 皆さんは農村をちょっと見に行かれたことがありますか?我々の本当の変化はとくに農村にある。ある変化は我々の予測を超えている。農村が請け負い責任制(承包責任制)を実行したあと、余った労働力をどうするか、我々はもともとはとても良い出口(解決策 福光)があるとは考えつかなかった。長い間、我々の百分の七十乃至八十の農村労働力は、土地の上に縛られていた。農村は一人平均でわずか一二ムーの土地を保有するにすぎず、多くの人にとって衣食が十分とさえ言えなかった。改革と開放をし、受け入れ責任制を始めたところ、農業を経営する人はすぐに減少した。余った人はどうしたか?十年の経験が証明するところでは、下部(基層)と農民の積極性が発動(調動)さえすれば、多様な経営が発展し、新型の郷鎮企業が発展し、この問題はすぐに解決できる。郷鎮企業は百分の五十の農村余剰労働力を吸収できた。郷鎮企業は我々指導者のアイデアではなく、基層農業単位と農民が自ら創造したものだ。権力を基層と農民に降ろす(下放)こと、農村においては農民に降ろすことは、まさに最大の民主である。我々は社会主義民主を話しているが、これ(郷鎮企業)はその重要な内容の一つである。同時に郷鎮企業は反対に(反過來)農業にとってまた大変役に立ち、農業の発展を促した。
 政治体制の改革はとても複雑で、一つの措置が1億人の利益となる。それゆえに政治体制改革は少しずつ、指導のもとに、秩序を持って進める必要がある。我々は資本主義国のものを写して用いることはできない、資産階級自由化はできない。共産党の指導といったものは捨てることはできない。捨てればたちまち動乱あるいは不安定な局面になる。一旦不安定あるいは動乱になれば、いかなる建設も達成できない。我々は「大民主」の経験がある。そう、「文化大革命」である。あれは一種の災難だった。我々の経済体制改革は、やはり指導あり秩序ありで進む。無政府主義ではできない。
 我々の党の十三大は中国社会主義がどのような段階にあるかはっきり述べねばならない(要闡述)。すなわち初級段階にあると、初級段階の社会主義であると。社会主義それ自身は共産主義の初級段階である。そして我々の中国はまた社会主義の初級段階、すなわち未発達の段階にある。すべてはみなこの現実(実際)から出発する。この現実を根拠に長期的な計画(規劃)を策定(制訂)する。

#鄧小平 #社会主義初級段階 #郷鎮企業 #小康

main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp