永青文庫・肥後細川庭園
当地は幕末に肥後細川家の下屋敷が置かれた。その屋敷地の中で、目白台の端に家政所が昭和初期に建てられたが、そこに細川家16代当主細川護立(もりたつ 1883-1970)により、昭和25年(1950年)、細川家に伝来する歴史資料、美術品を管理保存研究する施設として設けられたのが永青文庫である。文庫は昭和47年(1972年)から一般公開を始め、48年(1973年)には博物館法による登録博物館になって現在に至っている。
永青文庫では毎年4つの会期に分けて、所蔵品の公開展示を行っている。
他方、屋敷地で目白台から下にかけての部分には明治に入ってから細川家により、庭園が整備された。しかし第二次大戦後、曲折ののちに、庭園の部分は昭和36年(1961年)に都立「新江戸川公園」として開園し、また昭和50年(1975年)からは公園は文京区に移管された。またこうした経緯から、公園部分と永青文庫とは、壁で仕切られていた。
平成27年(2015年)から29年(2017年)までの庭園修復工事では、周辺の環境を含めて整備改善され、たとえば両者間の壁がフェンスに変更されて行き来ができるようにされて、永青文庫との一体性が回復されるなど、細川家の庭園だった状態が再現されるとともに、公園の名称が公募され、「肥後細川庭園」と細川家の庭園であった過去を積極的に示す新たな名称が採用された。考えてみると、「新江戸川公園」から「肥後細川公園」への名称変更には、社会の価値観の大きな変化が隠されているように感じられる。
この庭園の内容を見た時にも同様の時代の変化が感じられる。こうした手入れの行き届いた、和風の自然の景観を楽しむ庭園を私たちは好きだし、これをたとえばであるが、テニスコートや遊具を並べた児童公園に変えたいとは思わない(テニスコートや児童公園を非難する意思はないがしかしもしも身近に、使われずに荒れているテニスコートや児童公園があるなら、そろそろその形を時代に合わせることを、それぞれの土地で今必要とされる公共施設に変えることを真剣に考えるべき時かもしれない)。
この庭園は、入り口から入ると、目白台地の傾斜を生かした植栽により山が迫っているかのように見える。池の周りを回遊して楽しむのだが、この公園は途中、奥深い山に分け入る趣がありそれがとても楽しい。
アクセス:地下鉄有楽町線江戸川橋駅あるいは東西線早稲田駅から徒歩15分。リーガロイヤルホテル東京から神田川方面。橋を渡ると案内板あり。