鄧小平 南巡講話 1992/01-02
有名な南巡講話(南方談話)である。《鄧小平文選》第三卷 人民出版社1993年pp.370-383 ここでは冒頭の4pageを訳出した。pp.370-373
p.370 (一) 1984年に私は広東に来たことがある。当時、農村改革が行われて数年、都市の改革は始まったばかりで、経済特区は開始されたばかりだった。8年経った。今回来て見るまで、深圳、珠海特区やそのほかの一部の地方で発展がこのように早いとは、私は思いつかなかった。見てから、確信(信心)は高まった。
革命とは生産力を解放することである。改革もまた生産力を解放することである。帝国主義、封建主義、官僚資本主義の反動政治をひっくり返して、中国人民の生産力の解放を勝ち取ること。これは革命であり、革命は生産力を解放することである。社会主義基本制度確立以後、さらに生産力発展を束縛する経済体制を根本から改変して、生命力と活力に満ちた社会主義生産体制を建設(建立)し、生産力の発展を促進した、これは改革であり、それゆえ改革はまた生産力の解放である。過去、ただ社会主義条件の下で生産力の発展することを語るだけであったが、改革を通じて生産力を解放することまで語らなければ、十分でなかった(不十分)。生産力を解放し生産力を発展させるというこの二点をも十分語るべきである。
党の十一届三中全会以来の路線、方針、政策が、堅持されねばならない。鍵は「一つの中心、二つの基本点の堅持である」。社会主義を堅持せず、改革開放をせず、経済を発展させず、人民生活を改善しないというのでは、ただ死の道一本があるだけである。基本路線は百年担当する(管)ものであp.371 り、動揺させてはならない。ただこの路線が堅持されることで、人々はあなたを信じ、あなたを擁護する。誰であれ三中全会以来の路線、方針、政策を改変する者に、天下の人民は従わないだけではない、誰であれすぐに打倒されるであろう。この点について、私は何度も話してきた。もし改革開放の成果がなく、「六四」(事件)というこの重要な節目を我々が突破しなかったなら、そうしなかったならすぐに混乱し、混乱は内戦になっていた。「文化大革命」まさに(そうした)内戦であった。なぜ「六四」以後、我々の国家はとても安定しているのか?これは我々が改革開放を行い、経済発展を促進し、人民生活を改善したからである。それゆえ、軍隊、国家政権はすべてこの路線、この制度、これらの政策を擁護せねばならない。
このわずか十数年において、我々の国家がかくも早く発展したことは、人々を喜ばせ、世界の目を集めたところである。これは三中全会以来の路線、方針、政策の正確性を証明するに十分であり、誰かが変えようと思っても変えられるものではない。人々はこの話でまとまっている(説過去説過來)、これは道理(一句話)である。この路線、方針、政策不安を堅持せよ。改革開放以来、我々が定めた方針や規則は多数に及び、かつ全方位にわたっている。経済、政治、教育、文化、軍事、外交など各方面はすべて明確な方針と政策と政策があり、また符合した言葉で表現されている。この度の十三届八中全会は成功裏に開催され、農村家庭聯產承包責任制の維持を確認した(肯定不変)。変更は人心を不安にさせ、人々が中央の政策が変わったと言う(ことにつながる)。農村改革初期に安徽省では”傻子瓜子”問題が出現した。当時多くの人は、おもしろくなかった、あの人は百万稼いだ、(だから)あの人に行動を起こせと主張した。私は動くことはできないと言った。動けば、人々はすぐに政策が変わったといい、失われたものは戻らない。この類(たぐい)の問題は多い。もし処理が正しくないと、我々の方針はとても簡単に動揺させられ、改革全体に影響する。都市改革の基本政策は、必ず長期間安定して保持すべきである。当然実践の発展とともに、完全にすべきは完全に、補修すべきは補修するが、全体としては堅く定めて動かさないことである。もし新しいものがなければそれもいい。もし変えなければ、人々に政策の変更があったと感じさせることがないからだ。このこと(現在の正しい政策を変えないということ)があれば、中国には大きな希望がある。
p.372 (二) 改革開放の肝っ玉は少し大きくせねばならず、試験をするには、纏足をした女性のようにヨチヨチ歩いてはならない。試して良いとされた者は(看准了的)大胆に試し、大胆に突進せよ。深圳の重要な経験は勇気をもって突進したことである。まったく突進の精神がなく、まったく攻める(冒)精神がなく、まったく気力、強い気力がなければ、良い道にでることはできないし、新しい道に出ること、新しい事業を始めることもできない。リスクを冒さないで、仕事をする上での事情を百分の百把握する、万に一つの失敗もない、誰がそのような話をあえてしますか?一度始めたら、百分は百正しいと考える、と思い始めること、私はいままで一度もそのように考えたことはない。毎年指導層は経験を総括しなければならない。正しかったことを堅持し、正しくなかったことは速やかにあらため、新問題がでてくれば急いで解決する。恐らく次の三十年間に、我々は各方面で一組のさらに成熟した、さらにパターン化された制度を形成できるだろう。この方針の下、政策や方針はさらに定型化を増す。現在、中国式社会主義の建設で、経験は一日一日豊富になっている。経験はとても多く、各省の新聞雑誌の材料から見るに、いずれもその特色がある。これは大変良いことであり、創造性となるものである。
改革開放から余り歩みを進めず、突進もしない、アレコレ言うの(説來説去)は資本主義のものが多い事を恐れ、資本主義の道を歩むことを恐れるからである。姓が資本主義か社会主義かいずれであるかを心配するからである。判断の基準(標準)は主要には、社会主義社会の生産力を発展させるのに有利かどうか、社会主義国家の総合国力の増強に有利かどうか、人民生活水準の向上に有利かどうか、をみるべきである。特区を行うことについては開始するやすぐに、それは資本主義をすることにならないか、という不同意意見が存在した。深圳建設ではすぐに、このように又あのように心配する人に明確に回答した。特区の姓は社会主義であり資本主義ではないと。深圳の情況から見るに、公有制が主体であり、外商の投資は4分の1に過ぎず、この外資部分については、我々は税収、労務などの方面で得るところがある。三資企業(中外p.373 合資企業、中外合作企業、外方独資企業の3つを指す 原注)が多数実施されることも恐れることはない。我々の頭脳が明晰(清醒)なら恐れることはない。我々は優勢である、国営大中型企業を保有し、郷鎮企業を保有し、重要なことは政権は我々の手中にある。ある人は考える。外資の比率が少し増えると、それは資本主義が多くなることだと、”三資”企業が増えることは、すなわち資本主義のものが増えることで、まさに資本主義の発展であると。このような人たちは基本常識がまったくない。我が国の現段階の”三資”企業は、現行の法規政策に従う。外商もなにがしかカネを稼ぐ必要がある。しかし国家はそこから税収を回収し、労働者は労賃を取り戻している。我々はさらに技術と経営を学ぶことができる。さらに情報を得られ、市場のドアを開けることができる。それゆえ”三資”企業は我が国のすべての政治、経済条件の制約を受けるものであり、社会主義経済の有益な補充であり、詰まるところ(歸根到底)社会主義に有利なものである。
計画が少し多いか市場が少し多いかは、社会主義と資本主義の本質区別ではない。計画経済がイコール社会主義ではない、資本主義もまた計画をもっている。市場経済がイコール資本主義ではない。社会主義もまた市場をもっている。計画と市場はともに経済手段である。社会主義の本質は生産力の解放であり、生産力の発展であり、搾取の消滅であり、両極分化の除去(消除)であり、最終的には共同富裕に達するものである。全員(大家)にこの道理を説く(講)必要がある。証券、株式市場、これらのものが究極的によいものか悪いものか、危険はないか、資本主義に固有のものか、社会主義は使えないのか?試してみてよいなら、断固とした態度で(堅決地)試すべきである。見て良ければ、2年やって良ければ、開放せよ。間違いがあれば糺せばいい、止めればそれでいい。止めるのも直ぐに止めるのもいいが、ゆっくり止めてもいい。少し残してもいい。恐れることはなにもない、このような態度つまり緊張しない態度を堅持すれば、大きな失敗は犯さないものだ。まとめると、社会主義が資本主義に比較して優勢を得るには、人類が創造したすべての文明成果を大胆に吸収し学ぶべきである。資本主義発達国家を含む世界各国のすべての現代社会化生産規律の先進経営方式、管理方法を吸収し学ぶべきである。
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