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石川禎浩『革命とナショナリズム』2010

 岩波新書2010年刊で正式なタイトルは「シリーズ中国近現代史③ 革命とナショナリズム1925-1945」である(写真は憲政記念館前から警視庁を望む。2020年1月6日)。石川さんには『中国共産党成立史』岩波書店2001年という大著がある。同書は中国語版も刊行されている。ほかにも『赤い星は如何に昇ったか』臨川書店2016年など。
 新書ではあるが記述は極めて緻密であり、非常に多くの新しい資料を読み込んでいる。なかでも蒋介石の日記などをもとに、蒋介石が、日本に対して、列強による軍事介入によって、日本を中国から追い出す戦略構想を立てていたとして、それを詳しく述べているところがが興味深かった。
   またほかにも多くの興味深い指摘があって、その中には単純に歴史家に知られていることで、私たちの記憶から消えていることがある。例えば1931年の柳条湖事件に対して国際連盟の当初の対応は、日本に対し融和的で中国に冷淡だったという指摘(pp.77-79)。にもかかわらず日本の軍部が戦争を拡大し、和平の機会をつぶしたわけだ。軍部の独走が、和平の機会をつぶしたことを改めて記憶させられるが、こうした経緯は私には新鮮なのだが、おそらく歴史家には周知のことだろう。
 しかし国民政府のもとの保甲制度について、それは官の組織が県のレベルよりも下に下りてきたこと、を意味するという指摘(p.88)。これは石川さんも書いているように、それは地方社会の伝統的な権威を否定し、権力の再編につながったという問題だが、こちらは導入された制度をどう位置付けるかであるから、石川さんの主張の部分だろう。他方でこの時期の農村革命には、伝統的秩序もあって限界があったとしている(p.118)。
 あるいは紅軍のもとで、土着のアウトローたちは粛清などを通じて紅軍から排除されたという指摘(p.120)。これも石川さんの主張だろうか。これは、紅軍で起きた粛清について、規律行動になじまない遊民層を多数抱えていたことで、厳しい規律が必要になったという話(pp.115-116)と重なる点だとすれば、粛清についての解釈として注目すべき指摘なのかもしれない。

#粛清 #保甲制度 #国際連盟

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