見出し画像

顧准 直接民主と議会清談館(下)―カウツキーは正しかった 1973/04/20

顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社2013年pp.128-131 写真は《顧准会計文集》立信会計出版社2010年表紙より転載。

p.128      九、”少数派を保護せよ”は両党制のスローガン
 1957年前後、我々この一党制の国家でも「少数派を保護せよ」のスローガンが鳴り響いた。実際は、これは英国のミル(穆勒)が話したことであり、有名な(地道的)両党制のスローガンである。
p.129    少数派が保護されるべきであるのは、その政治綱領は今日は通過しないが、今日時宜に合わないが、千年後、時代の潮流に変わっているかもしれないからである。われわれ人間はまた螺旋型に前進するもので、走馬灯のように、同じところを回って、実際一回りして、前に少し進んでいる。革命は直接前進であるが、しかし1789-1793年, フランス近代史約200年の2%である。人間世界の基調は進化であり、革命は進化が(前進を)阻まれた(受到擁塞)ときの決壊(潰決)である。100年の中でこうした日は数日あり、一日は20年に等しい。毎日が20年に等しいことを求めるのは笑い話になるが、この種の笑い話を我々は何度も経験したのである。

   十、「主人とする」「指導者」「競争」、武闘両派はピンポンの両サイド、精神貴族に変わった
 直接民主のスローガンは人民を主人にする、というもの。しかしギリシアの歴史に残されてきたのは「英雄たち」である。「人民を主人とする」は実際のところ空っぽの話しである。
 マルクスに始まる、社会主義の「民主―専制」問題の論争の中で、実現が求められているのは人民に対する「指導」であり、(それを)最も徹底的に述べたのはレーニンである。「マルクスは自発的に生まれたものではなく、少数人は群衆に向かい(思想を)運び込んだのである」。(原文とは異なる)「議会清談館」と合わない、その理由は清談館と指導者の概念には大きな隔たり(大相徑庭)がある。
    両党制の議会政治の本当の意義は、二つのともに執政できる政治集団が、それぞれ自身の政治綱領を持ち、群衆の間で票を競争して取得しているところにある。
 我々は実際上人民を直接主人とすることはできない、それは無政府である(無政府を意味するからである)。我々が必要とするのは一つの政治集団がその執政期間に皇帝と宮廷に変わることを許さないことである。どうすればよいか?(西欧の方法は)一つの政治集団に政権を任さないことである、別の政治集団が対峙し、誰であれ、得票の多いものが権力を握る。この点を達するためには、当然、政党、選挙の憲法が必要であり、二つの集団が一組のゲームのルール(憲法、選挙法)に基づいてボールゲームの両サイドになって、勝った人が主人役を務めるのである。
 交互に主人役になるのは、交互に少数派になるということ。交互が始まれば、走馬灯の螺旋は回り始める。政治綱領に大きな違いがないこともよいことだ。大将軍アイゼンハワーは皇帝になれなかっただけでなく、痛切に指摘した―米国には一種軍界工業界の大きな脅威(威脅)があると。
p.130   当然、このようであれば必ず一種職業政治家の精神貴族が生まれる。しかしこれは恐れるべきことだろうか。我々のこの農民が80%の国家で、すでに現在の政治家(彼がもとは労働者出身であるかを問わず)は精神貴族であり、科学者、エンジニアも精神貴族、中学教師もまた精神貴族ではないか。この問題を解決する、唯一の方法はより多くの貴族を育てる(培養する)ことである。”貴族”は河を渡る鮒のように(過江之鯽)多く、彼らは自然には重視(貴)されない。陳毅がかつて述べたことがある、ジュネーブ(日内瓦)会議の時、彼は各国の外務大臣(外長)から特に尊敬を得た、というのはこれら外務大臣は、任命されているだけで、任務を降りればただの平民であり、どこに元帥の威風があるだろうかと。そこで発表された白書の艾奇遜は現在教授であり、費正清はその厳格な先生である。米国の労働者子弟の大学進学率はますます増えている。とはいえ、米国には現在強烈な批判がある。米国の社会の底層集団は十分な教育を受けられず、科学技術が日増しに発達する社会の中で労働力の販売路をもてないと。日々精神貴族反対の中国では、貴族たちが下鄉して2年して戻って以後、彼らの貴族臭は除かれてしまったろうか?現在声高に叫ばれる落實政策、その実際は貴族への配慮(照顧)である。農村で冬の日に靴もない子供たち、再び(これまで)提起できなかった議論の準備はできている。我々に必要なのは進歩であり、後ろを一斉に振り返ることは進歩にならない。

         十一、官僚機構と代議政治
 行政機関、またすなわち官僚機関は当然、廃止(取消)できない。しかし常務的行政機関は安定されるべきで、ただ政務官は換える必要がある。
 この点は実際説明の必要がない。行政事務自身は複雑で専門性があり、政党の争論は政策問題である。
 実際、政党政治の下面で、部長と司長、科長の関係はまた現在のようなあのような「指導」関係ではない。常務次長そして司長は彼らの日常的専門性行政工作を行い、この種の政策に服務し、またあの種の政策に服務する。社会はますます複雑になり、国家機関は国家機器をもたずに、あるいは破壊して(実際は廃止して)は機能できない。
    しかしもし議会さえあれば、政策が監督をうけるだけでなく、日常行政もまた監督をうけることができる。あなたは空論をもてあそぶ議会を見なくていい。われわれの代表大会で、章乃器が予算について質問したところ、財政部は
p.131   数日忙しかった。(監視する)目が多ければ、人目をはばからない(無法無天)行為は減少するであろう。
 それゆえに政権を奪取することを論じるなら、カウツキーは誤った。「連れていったあとどうするか」についてはカウツキーは正しかった。われわれからすると、このすべて(議会という代議制度=間接民主制度、議会における反対派の存在、議会が行政や行政機関を監視する仕組みなどであろうか。訳者挿入)は輸入品である。しかし輸入しないのは駄目だ。

                     十二、李自成、洪秀全と1957年
 君は李自成(明の末期 農民反乱の指導者 明を滅ぼし北京を占領して皇帝を称したが清の支援を受けた明の遺臣により短期間で滅ぼされた)と洪秀全(清の末期、清に反旗を掲げ南京を天京と改め太平天国と号した。宗教としてキリスト教を掲げた。内政の改革には失敗したように見えるが一定期間版図を維持した。軍事力の衰えにより清により滅ぼされた。)に話しを広げている。なぜ彼らがもし勝利したらと仮定せねばならないのか?朱元璋はもう一人の李自成ではないか?農民の謀反は、知識分子を欠き事を完成できず、劉基、宋濂,牛金星、李岩これらの人は、四書五経を除いて二十四史のほか、何を読むことができたか?旧例に従うほかに、彼らに有効な政権を立てることができたか?(中略)太平軍には最初いくらか軍事共産主義の趣があったが、天朝田畆制度はただの空文の紙切れであった。軍事共産主義的なものは、朱元璋軍の中にもあったが、皇帝になって以後、史籍の中に一点の影をのこすのみである。
 それゆえ「思想は伝えられることが肝要である(思想要靠灌輸)」は少しも間違いではない。「槍に優れた人、筆に優れた人、この二つの優れた人次第だ」というのは間違いではない。
 「五四」の事業は志のある人で継承が必要である。民主は恩賜に頼ることはできず、民主は力で勝ち取るものだ(爭來的)。文章にたけた人(筆桿子)が必要であり、鮮血をもって墨水とする文章にたけた人が必要である。
                                                                                     1973年4月20日


main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp