三余の教え
三国時代(魏呉蜀の鼎立の時代)に董遇(2世紀後半から3世紀前半)という人がいました。時間を見つけては勉強して大学者になったとされています。いろいろな人が彼をしたって教えを乞いますが、彼はまず百回読むことだと言って、教えません。それを聞いた人は董遇に、その通りだと思いますが、しかしどこにそんな時間がありますかと聞くと、董遇は笑って答えました。三余の時間があるのにそれに気が付かないだけです。それは、冬の農作業の無い時、夜働く必要がない時、そして雨で出られない時です。聞いた人は、自分に時間がないのではなく、ただ時間を探す努力をしてなかったことを悟ったのでした。
ところで魯迅の書いたお話しに『百草園與三味書屋』があります。三味書屋は魯迅が子供の時、学んだ塾の名称。この三味書屋の元の名前は「三余書屋」で、董遇の三余の故事により、子供たちに時間を惜しむことを教えたものです。宋時代の政治家にして文章家の蘇東坡(1031-1101)は、董遇の三余の故事に感銘を受け、「人生の教えは三余にあり(此生有味在三余)」といったとされ、そこから魯迅がこの塾に学んだときには、「三余書屋」は「三味書屋」に改名されていたといいます(注 この蘇東坡の三余の意味は、三余のときに人生を楽しもう、味わおうと教えているので、正直に言うと「三余書屋」のママの方が子供たちに教訓を垂れるうえでは正しかったと思います。改名した人はなぜ改名したのか、意図が良く分かりません。)。
三味書屋に学んだ魯迅(1881-1936)もまた時を惜しむ人になりました。魯迅は成功の原因を聞かれたときに、「わたしは天才ではありません。ただほかの人がコーヒーを飲んでいる時間(工夫)にいつも仕事をしただけです」とこたえています。(注 個人的にはコーヒーを飲んで仕事をすると能率があがると思います。)
なお少し意味は違ってきますが、たゆまず励むさまには、兢兢業業といった表現もあります。普段の努力が実を結ぶという意味では、滴水穿石,水滴石穿が意味することと近いようにも思います。
資料:《董遇"三余"読書》載《中華書局》2012年pp.18-20
董遇談“三餘”勤讀
蘇東坡的三余
出典 此生有味在三余
魯迅的名言 哪裏有天才