厲以寧 財産権改革―これまでの成果 2013
厲以寧《中國經濟 雙重轉型之路》中國人民大學出版社·2013年から第一章產權界定的重要性 第一節 經濟非均衡和市場主題的確定 二,產權改革迄今取得的成績 pp.18-21を訳出する。
p.18 二、財産権改革が今まで得た成果
20世紀80年代以来、2012年まですでに30年以上が経った。この30年余りの間に、中国は財産権改革方面ですでに喜んでよい成果を上げた。この成果は大体五つの方面に分けることができる。
(一)国有企業の大部分は株式制企業に改変され、その一部は上場会社(上市公司)に改変されたこと
これはかなりの(了不起的)成果である。知るべきなのは、国有企業改革の過程でかつて採用された、「権限利益の委譲(放權讓利)」、「利改税」、企業請負(承包)制などの措置は、いずれも顕著な効果を上げなかったことである。とりわけかつて政府により学習することが公開唱導された首都鋼鉄公司の「請負中心(承包為本)」は、実践が証明するように、弊害が大きかっただけでなく、真似てはいけない典型だった。のちにほかの企業に明白になったのは、首都鋼鉄は特殊政策の産物で、(そこに)政府の特殊政策はなく、その他企業はまねようがなかった。企業請負制が企業請負者をして短期利益に向かわせ、長期の考慮を不足させるからであり、結果は、設備を全く無視して、設備が無くなってようやく止まるのであり、請負制実行企業は将来の発展戦略や将来図を全く考慮していない。このほか企業請負制は常にp.19 財産権問題を脇に投げており(撇在一邊),もともと明確でない財産権はさらに不明確になり、企業の財産権は昔同様に曖昧模糊であった。
鄧小平の南方談話以後、企業界は株式制改造策を考慮し始めた。とくに中共十五大(1997年9月 訳注)以後、国有大企業、大銀行はようやく株式制改造の列に入る事を重要課題とし、上場問題の研究さえした。このようにして国有企業改革はようやく高速側に入ったのである。
(二)民営企業が20世紀90年代に大発展を開始し、経済生活に巨大な変化をもたらし、併せて次第に中国国民経済の重要な構成部分として承認されたこと
次第に成長した中国民営企業は、すでに改革開放以後新たな経済要素(成分)となっている。彼らは新中国成立前の民族資産階級の私営企業と異なり、また(1956年の私営工商業改造前の)新中国成立初期の民族資産階級の私営企業とも異なる。改革開放後、一群また一群と各地で民営企業家が次第に成長したが、(彼らは)中共中央の呼びかけに答え社会主義建設事業に身を投じた人であり、社会主義建設者である。これらの民営企業家の多くは1949年中華人民共和国誕生以後の出生である。彼らは新中国で教育を受け、その一部は1977年の高考回復後、大学(高等学校)に進学した。またその一部はかつて山中に入り農村に下り、農村の中の労働で鍛錬された。彼らは党の呼びかけに答えて改革開放事業に身を投じたのであり、民営企業の創業過程に直接参与した、一部の人は体制内から体制外に転じた。
このように言える。彼らの多くは皆実践の中で財産権を明確にすること、そして民営企業の発展にとって財産権を確定(界定)することの主要意義を理解した。明確な財産権がなければ、民営企業は、財産権の維持保護や財産権の安全を語りようがないではないか(談什麽)?それゆえ彼らは財産権改革の受益者であり、また財産権改革の推進者、促進者である。
(三)集団(集体)所有制企業のほぼ全部が20世紀90年代以後改変を進め、財産権が明確な株式制、株式合作制あるいは民間資本経営企業になったこと
1956年に工商業と手工業の社会主義改造を進めた時、都市内部に大量の集団所有制企業が生まれたが、その財産権はなお曖昧(模糊的)だった。誰が投資者か?終始これは謎である、というのは「集団所有」は空っぽの概念で、具体的な投資者にたどり着かない。こうした情況は改革開放の初期までずっと続いた。農村でもまた集団所有制企業が生み出され、当時、具体的分析もないまま(言葉の具体的検討を欠いたまま:籠統地)「社隊企業」とよび、また始終「社隊企業」の投資家が結局誰かは不明確だった。
そして、農業において家庭請負制(承包制)が実行されてのち、労働生産性(率)が飛躍的に高まり、農村の中にまた
p.20 剰余労働力が出現し、農村と小集落には次々に郷鎮企業が発起された。これらの郷鎮企業は新設で、通常、農民の出資により、株式制あるいは株式合作制の形式をとった。もとの「社隊企業」の財産権は不明確であったが、すべて郷鎮企業と改称された。このように、新設の郷鎮企業と、もともとあった「社隊企業」がこのとき併せて郷鎮企業と呼ばれ、、すべて集団所有制企業範囲に含められた。このほか20世紀80年代には、なお一群の集団所有制企業が都市にも農村にもあった。実際は私人投資と私人所有(擁有)のものだが、当時の形勢下、慣例により、集団組織の下に「属する(挂靠)」必要があり、定期的に集団組織に一定の管理費を収めた。それゆえこれもまた「郷鎮企業」あるいは「集団企業」と称した。
主要には20世紀90年代以後、各種各様の集団所有制企業はすべて財産権の確定(界定)過程を経て、あるものはなお集団企業を名乗ったが、投資家は詰まるところどの投資家であるか、すでに明確となり、企業形式もまた株式制あるいは株式合作制に改められた。もともとのある集団組織のもとに「属する」「集団企業」は、続々「属する」関係を離脱し、本来の面目を取り戻し、民営独資あるいは民営共同(民営合夥),あるいは民営株式制企業となり、明確になった、これは財産権改革の成果である。
(四)20世紀90年代以後、とくに21世紀にはいってから、混合所有制企業がますます多くなった。
混合所有制企業の中には、国有資本と民間資本の連合組成のものがあり、国有資本と外国資本の連合組成のものがあり、民間資本と外国資本の連合組成のものがあり、さらに国有資本、民間資本、外国資本連合組成のものがある。
(訳者注 混合所有制の定義があいまいな印象を受ける。康石の解説参照 康石「混合所有制改革と外国企業のM&Aビジネス」SciencePortal China, 2014年10月22日によれば、混合所有とは国有資本、集団資本, 非公有資本が相互に出資する関係を指している。ということは国有資本と絡まない混合所有もあることになる。国有資本が混合所有化してゆくことに私などは問題を絞りたいが、中国の関心は少し違うようだ。)。
実際のところ、国有企業あるいは民営企業であれ上場会社となったのちは、証券市場の投資家が株主に加わる、このようにして上場会社はすでに混合所有制企業になっている。もし職工の持ち株であれば、たとえ企業がなお未上場でも、同様に混合所有制企業になっている。ただ絶対支配株あるいは相対支配株は、企業の具体情況によりことなる。
混合所有制企業の建設と発展は、すべて財産権の確定が前提である。このように言える。もし財産権が確定せず、財産権が投資家に明確でなければ、そのような企業は持続できないし、一歩も拡大できないと。
p.21 (五) 名称と内容が符合している(名副其實)合作社は同様に改革開放以後の成果。どの合作社も必ず法に従い設立、法に従い管理されるようになった。
この方面の典型例は、この数年各地で大発展した農民専業合作社である。
すでに述べたところであるが、農村の財産権改革は一貫して進行が緩慢であった。1979年に開始された、家庭聯產請負制は疑いなくその意義は深遠で農業生産を発展させる重大な改革措置だったが、しかし決して真正意義の財産権改革ではなく、ただ農業経営方式の改革だった。農村の財産権改革の真正の発動(啓動)は2008年、全国で進められた集団林権改革であった。集団林地に林農請負がなされ、林業財産権が明確にされただけでなく、抵当に用いることができ、また請け負い各戸に林権証が発行された。
ではあるが以下も指摘せざるを得ない。農業請負制というこの種の経営方式の条件のもと、農民専業合作社が続々設立された、これが最近10年来の新たな情況である。今までのところ、多くの農民の請負地はなお権利が確定していないが、土地を株(持ち分)と出来ることは農民の間の共通の知識となったし、土地に代えて現金で持ち分を入れて持ち分を持つこともよく見られる。実際上、これが農村の財産権改革の実験場である。というのも農民の専業合作社はすでに市場の主体であり、財産権の確定、財産権の明確化は必備の前提だからだ。
農村土地確定権及び農民が獲得した請負地の使用権、自宅周辺地使用権、自宅不動産権これら三権の過程と比べると、農民専業合作社の財産権改革は疑いなく一歩先行している。
(訳者注 農村の土地改革の近況は以下を参照されたい。
関志雄「市場化に向けた中国における農村土地改革」RIETI2020年4月17日)
main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp