見出し画像

鄧小平 資産階級自由化に旗幟鮮明に反対せよ(1986年12月30日)

『鄧小平文選第三巻』人民出版社1993年12月pp.194-197より全訳。

 学生が騒いだこと(闹事 原注73:1986年12月中下旬、資産階級自由化の思潮が氾濫する背景のもと、合肥、北京などの一部の高等院校の少数の学生は各種の情緒理由から街でデモをした。ごく少数の観念に取りつかれた人々が共産党の指導に反対し、社会主義道路に反対する扇動を行い、ある地方では交通秩序が乱されたり、社会治安の規定に違反する情況が生じた。その後、関係方面と学校当局の教育と指導により、事件は次第に収まった。)は大事(おおごと)にはならなかったが、問題の性質から見て、とても重大な事件である。あらゆる天安門を突破しようとしたものに、断固とした措置が取られるべきだ。北京市はすでにデモ示威の規定を公布している。これは法律性質のものであり、必ず厳格に守られねばならず、譲歩はできない。我々は学生の騒ぐことに以前から、主要には指導(疏导的方法)という方法をとることが必要である。疏导には法律的手段を用いることも含む。もし社会秩序を破壊して、刑法に触れたのであれば、必ず断固として処理すべきである。騒ぎが起きたところは、すべてそこの指導者の旗幟が不鮮明で、態度が断固としていないからである。これはまた一つ二つの地方の問題ではなく、一年二年の問題でもない。この数年というもの資産階級自由化思潮に反対する旗幟が不鮮明で態度が断固としていなかった結果である。旗幟鮮明に四項の基本原則を堅持することが必要である、そうでないのは資産階級自由化を放任するのと同じである。この事件が発生したのは、良いことでもある。我々を目覚めさせたのだ。
 私は方励之(原注74。1955年に中国共産党に加入。1984年9月中国科技大学副校長。在職中、いろいろな場面で資産階級自由化をオープンに鼓吹し、党の指導を否定、社会主義制度を否定、学生の騒擾を扇動した。1987年1月に党籍を解除され、中国科技大学副校長の職務を解職された。1989年に北京で発生した動乱と反革命暴乱において反革命扇動宣伝罪を犯し、公職を解かれた。)の講話をみたが、根本的に共産党員の話すことではない、このような人を党内にとどめてどうするのか?離党を勧める問題ではなく、(党籍を)解除すべきである。ある人が自身の観点は放棄しないが、今回の学生の騒擾には不参加を表明したとする、これはいい!あなたの観点は保留できるのは、あなたが反党反社会主義行動をとらない限りである。上海の
p.195  王若望(原注75。1937年中国共産党加入。かつて中国作家協会理事、上海市作家協会理事。1979年から、さまざまの場面で四項基本原則にオープンに反対し、資産階級自由化を鼓吹した。1987年1月に党籍を解除された。)はとても狂暴で(猖狂得很)さきに解除すべきだと言われているのに、なぜずっとされないのか。上海の群衆中には中央には保護層がいる、四項基本原則を堅持するか否か、自由化に反対すべきか否か、についても異なる意見がある、との伝説がある。それゆえ騒擾がおきたあと、上海人は様子見をしようとしている。つぎのように言うべきだろう、中央から地方まで、思想理論戦線上軟弱であると、陣地を失うと。資産階級自由化に対し放任の態度では、良い人は支持を得られず、悪い人は狂暴の限りを尽くす。講話する勇気のない良い人は、自ら道理の立脚点を失うようなものだ。いかなる立脚点もないのだ。四項原則は必ず話されねばならず、人民民主専制(独裁)は必ず話されねばならない。安定した団結の政治局面を勝ち取るには、人民民主専制をするのでなければならず、是非を転倒したり、黒白を混交させたり、事実を捏造し他人の名誉を損なう人が自由に群集を扇動するということはあってはならない。過去数年、我々は自由化を掲げ、かつ刑法を犯した人を法により処理したのではなかったか?これにより中国の名誉は悪化しただろうか?中国の印象はこのことで悪化しておらず、我々の名誉はそれどころか日々良くなっている。
 我々が民主を語るとき、資産階級民主を持ち出すことはできないし、三権分立というあの一組もすることができない。私はいつも米国の政権担当者を批判(批評)する。彼らは実際、政府が三つあると。当然、米国資産階級は外国にこの手を用いて対応しようとするが、国内でも争いがあり面倒が生じている。この種の方法を我々は採用できない。
 我々は対外開放政策を執行し、外国の技術を学び、外資を利用するのは、社会主義建設をうまく行うためであり、社会主義道路を離れることはできない。我々は社会生産力を発展せねばならず、社会主義公有制を発展せねばならず、全民所得を増加せねばならない。我々は一部の地区、一部の人が先に豊かになることを許したが、それは最終的に共同富裕に到るためである。それゆえ両極分化を防ぐ必要がある。これはまさに社会主義である。
 中国に中国共産党の指導がなく、社会主義を行わないなら、(中国には)前途がない。この道理は既に証明されているし、将来さらに証明されるだろう。もし我々が一人当たり国民生産価値4000米ドルに到達し、かつ共同富裕であれば、そのときには
p.196   社会主義制度が資本主義制度に勝ってることをさらに良く示すことができる。世界の4分の3の人口に奮闘の方向を示し、マルクス主義の正確性をさらに証明できる。それゆえ我々は、なんのおそれもなく(理直气壮地)社会主義道路を堅持すべきだし、四項基本原則を堅持すべきなのである。
 専制手段を持たないのもだめである。専制手段については単に話さなければならないと言うだけでなく、必要時には使わねばならない。当然、使用時には慎重であるべきだし、捕まえる人はできるだけ少なくすべきである。しかしもし誰かが流血事件を引き起こしたら、どのような(対処)方法があるか?我々の方針はまず彼らの陰謀を暴露すること、我々の側の人が傷を負ったのなら、刑法を犯した主犯に法に従った処理をすることである。この決心を下さなければ、この事件が起きることを制止できない。もし措置を取らなければ、我々は後退し、以後の面倒は多くなる。
 今回の学生騒擾中、民主党派の言動(表現)は良いものだった。周谷城、費孝通、銭偉長など何人かの著名な民主人士の態度は良いものだった。よくなかったのはなんと、我々の側の何人かの共産党員だった。
 あの明らかに社会主義に反対、共産党に反対の人は、今回すぐに処理すべきである。波乱は起きるだろうが、恐れることはない。方励之、劉宾雁(原注77。1944年中国共産党に加入。かつて中国作家協会副主席、人民日報記者。さまざまな場所で四項基本原則にオープンに反対し、資産階級自由化を鼓吹した)、王若望に対する処理は断固としたものであるべきだ。彼らの自惚れ(狂妄)は行き着くところに達しており、共産党を改変したいと考えている、彼らに共産党員としてどのような資格があるというのか?
  六中全会(原注78。1986年9月28日北京でおこなわれた中国共産党第十二届中央委員会第六次全体会議。全会は「中共中央の社会主義精神文明建設指導方針に関する決議」を可決した。この決議草案の討論において、鄧小平は資産階級自由化に反対することに関する重要講話を行った)において、本来私は講話を準備していなかったが、その後、話さざるを得なくなり、資産階級自由化に反対するあの一席の話を書くことが必要になった。見るところ未だ影響を及ぼしていない。聞くところでは伝達されていないと。
 精神汚染に反対する観点は、今まで私は放棄していない。私は二中全会での講話全文を私の論文集に収めることを同意している。
 資産階級自由化に反対することは、これからなお二十年する必要がある。民主は次第に発展できるだけであるし、西欧のあの一組を引き出して用いることはできない。あの一組を持ち出すことで、乱れてはならない。我々の社会主義建設は、安定団結の条件のもと、指導があり、秩序があって進行するp.197    ものでなければならない。私はとくに理想があること、規律があることを強調せねばならない、即ちこれが道理である。もし資産階級自由化をするなら、それは痛苦(折騰)の再来である。資産階級自由化をして、党の指導を否定する、十億の人民に凝集した中心がない、党もまた戦闘力を失う、大衆(群衆)団体ですら及ばないそのような党が、どうして人民を指導して建設することができようか。
 1957年の資産階級右派に反対する闘争は、行き過ぎたところがあり、名誉回復が適切である。しかし我々はそのすべてを否定しているわけではない。
 資産階級自由化に反対することをなくしてはだめだ。外国人が我々が自身の名誉を損ねていると話すことを恐れることはない。自身の道を歩み、中国特色のある社会主義を建設するところに、中国は希望があるのである。外国人に中国の政局が安定していることを見させるのだ。乱れていて、バラバラの砂(一盘散沙)のようだったら、どのような希望があるというのか?過去帝国主義が我々を侮ったのは、我々がばらばらの砂(団結してなかった)だったからではないか?
 学生の騒擾を処理することは重要なこと(大事)であり、指導者は旗幟鮮明でなけならない、そうであって初めて群衆は目を開けて理解することができる(擦亮眼睛)。《人民日報》の三つの文章は良く書けている、《北京日報》の社説「壁新聞は法律の保護を受けない」もまた良く書けている、李端環が天津で行たった講話もまたよろしい。まさしく態度を鮮明にし、積極分子を鼓舞すれば、そうであって初めて中間の群衆は踏みとどまることができる。指導者の態度が断固としていれば、騒擾は起きないものなのだ。


main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp