中国:改革開放後の銀行 1978-2008
李志煇《中國銀行業的發展與變遷》格緻出版社2008 15-21(写真は東京大学本郷キャンパス 2019年12月4日)
党の十一届三中全会が招集開会され、機構(格局)は根本的に変化することになった。1978年12月18日から22日、中国共産党の第十一届中央委員会第三次全体会議が北京で招集開会された。会議は全党の工作の重点を社会主義現代化の建設に移すことを決定し、併せて経済体制改革の任務を提議(提出)した。我が国は改革開放の新たな歴史時期に突入した。と同時に、中国金融体制改革も次第に序幕が開かれ始めた。1979年に鄧小平同志は提議した。「銀行を本当の銀行に作りかえねばならない(必須把銀行真正辦成銀行)。」この歴史背景のもと、わが国は金融の回復を始めた、金融組織体系の工作を再び組み立て(重搆)、政府の指導のもと、銀行体系は四段階の改革を歩んだ。(銀行は)政府の金庫(司庫)の役割から次第に、「政治銀行家」そして「銀行家」に役割を変え、(さらに)経済金融にサービスする独特の職能を発揮するようになった。
第一段階:中国二元銀行体系の最初の建設(初歩建立 1978年―1984年)
国家の直接統制のもとにある単一銀行体制は国家が独占(壟断)している単一金融所有権方式であり、この一段階においては、高度に独占された国有金融システムは主導地位を占めており、その他の利益団体は未形成であり、国家が、国有経済およびその他部門のサービスのため、国有金融所有権(産権)の境界(邊界)を拡張する努力を進めた。
まず1978年1月、中国人民銀行は正式に財政部に依存した地位から独立し、併せて部級単位に昇格した。各省、自治区、直轄市以下の銀行機構もまたこの年、財政部門から分設する作業が完成し、中国人民銀行の上から下までの垂直指導(体制)が回復した。
改革開放方針の指導のもと、1979年3月にはさらに中国農業銀行が回復された。国務院に隷属するが、中国人民銀行が国務院に代わって管理し、その主要任務は、農業資金の統一管理支出、農村の信用貸付の集中処理、農村信用合作社の指導、農村金融事業の発展にあった。同時に中国銀行の中国人民銀行からの分離が行われた。この銀行もまた国務院に隷属し、中国人民銀行が管理を代行する。その主要任務は、外国為替(外匯)資金の組織、運用、貯蓄及び管理、外国為替業務の経営、国際金融活動従事、国家の授権と委託により国家を代表して(海外で?)信用貸付業務を行うことにあった。1979年8月国務院は直属の機構として、中国人民建設銀行の再建(改爲)を決定した。その主要任務は、財政部の委託のもと基本建設財務管理の財政の職能の代理行使、国家の固定資産投資の支出(撥款)監督を行うこと、同時にまた国家の固定資産投資の信用貸付業務と貯蓄業務を行うこと。国務院は1983年9月17日に発した文書で明確に規定した。中国人民銀行は中央銀行の職能を専門的に行使する、同時に1984年1月1日に正式に設立される中国工商銀行の成立を決定した。同行は、人民銀行が行っていた工商信用貸付業務と貯蓄業務を引き継ぐこと、都市の金融業務を主管する専業銀行であり、国家の方針政策に従い資金を集め資金を運用し、工業生産の発展と商品流通の拡大を支持し、集団(集体)個人(個体)工商業とサービス業の発展を支持する。このときから中国人民銀行は正式に中央銀行の職能を履行し始めた。このときから、計画経済下の”大一統”の銀行体系は、中央銀行が指導し四大専業銀行が組み合わされた(配套)ものを主とする二元銀行体系時代に切り替わったのである。
同期間の1979年中国国際信託投資公司が設立されている。1981年末には国際金融機構の貸付とその他の資金を国内企業に転貸する中国投資銀行が設立された。1981年から1984年末まで全国で13の非銀行金融機構が設立された。資金管理体制は伝統的信用貸付管理体制に挑戦を開始していた。
(中略)
第二段階:中国多層次銀行体系の構築建設(構建)と充実(1985-1994年)
この段階の国有銀行の発展は専業化経営により企業家経営の転変に向かうことに(専業することに特化したことと、ビジネスとして収益を考える方向に向かうことに)着眼したもので(この訳は生硬すぎる)、その改革は主に二つの方面に集中している。
一つには資金分配上の”大鍋飯”を打ち破り、銀行の資金約束を次第に強化し、併せて銀行間の業務制限を打破し、業務範囲を拡張し、専業銀行をにして"准企業(企業並み)"から真正の企業に変化させる。1984年5月12日第六届全国人民代表大会第二次会議は、財政支出(撥款)で国有企業に資本注入する計画方式を、国有銀行が国有企業に貸し付けを行う市場方式に改めること、すなわち”撥改貸”改革の決定を行った。このあと四大国有銀行は国有企業に資金を提供する重い責任を負うことになった。同時に1985年、中国人民銀行は、専業銀行業務は適當交叉(適切に組み合わされる?)すなわち銀行は企業を選んでよく、企業も銀行を選べる言う政策を公布(出台)し、四つの専業銀行が適度に競争することを促し、受け入れたものをすべて出す(統収統支)ような銀行資金供給制を打破しようとした。四つの専業銀行は農村にも触覚を伸ばして、当時発展を始めた郷鎮企業にも貸付を提供した。
二つには機関管理方式から企業化管理方式への過渡だったこと。目的は各種の外部条件と内部管理体制が基本変わらないという前提のもとで、責任、権利、利益が相結合した企業化管理改革を全面的に推進し、分配上の”大鍋飯”を打破し、銀行の下部の人々の積極性を促し金融システム活力の活力を高めることにあった。1985年9月、中国共産党の十二次全国代表会議は”七五”計画の建議で専業銀行は企業化改革の方向を堅持すべきだということを強調した。中国人民銀行と国家体制改革委員会、国務院経済研究中心、財政部は金融体制改革方案を起草し、明確に国有専業銀行が企業化経営を実行すること、すなわち銀行は独立した法人金融企業になるべきで、利潤最大化を目標とし、商業化経営、自主経営、自負盈虧,自擔風險,自我發展を実行する。この改革の方向で、四大国有専業銀行は計画、資金、財務、人事などの方面で改革を始めた。
(中略)
(1987年党の十三大と1992年の党の十四大精神の指導の下、わが国銀行業は改革中も不断に拡大発展した。1986年7月に交通銀行が公有制の株式制全国性総合銀行として設立されたあと、中信実業銀行、紹商銀行、深圳発展銀行など12行の株式制銀行が相次いで設立された。このほか1986年1月には、北京、天津など12の都市で郵政貯蓄業務の試行が決定された。1995年には中国人民銀行が16の都市で都市信用社の基礎上で都市合作銀行の試行を始めた。95年2月には最初の都市商業銀行深圳都市商業銀行が設立され、1996年末までに都市合作銀行の開業は18行に及んだ。このようにわが国銀行体系の多元化は次第に進んだ。)
第三段階:中国銀行業商業化改革の全面推進(1995-2002年)
この段階は国家専業銀行を商業銀行に転変させる段階である。この段階のの主要任務は内部経営体制の改造を通じて、改革の量を増やし、国家専業銀行を真正の商業銀行に変化させること、併せて銀行の所有権(産権)改革の序曲を奏で、同時に多層次銀行体系を逐次培養育成することである。
1995年5月10日、第八届全国人代常任委員会第十三字次会議は《中華人民共和国商業銀行法》を可決し、法律上国家専業銀行の国有商業銀行の地位を確立した。国有商業銀行が効益性、安全性、流動性を経営原則とし、自主経営、リスクの自己負担、自負盈虧(利益損失を自ら負うこと)、自我約束を実行する。1996年から国有商業銀行に対して資産負債比率(比例)管理の基礎上でリスクの質量管理が始まった。
1997年にアジア金融危機が勃発した。国家の経済安全を守り、経済金融の安定を確保するため、同年11月中共中央と国務院は第一次全国金融会議を招集し、併せて一連の国有商業銀行改革措置を行った。1998年1月1日から中国人民銀行は、国有商業銀行に対する貸付限度額規制を取り消した。”計画指導、バランスの追求、比率(比例)管理、間接コントロール”の管理体制を実行し、国有商業銀行の経営自主権はいま一歩前進した。その後、資本金の充実のために1998年9月財政部専門は国有商業銀行のために2700億元の人民幣
特別国債を発行し、資本充足率は《バーゼル協議》が規定する8%水準に達する見込みである。このほか国家は四大銀行に国際慣例に適合したリスク管理メカニズムの採用を求めている。(中略)
第四段階:中国銀行業現代化改革のための努力(攻堅)(2003-2008年)
中国がWTOに加入して以来、金融業の対外開放と外資導入が促され、わが国銀行業は全面的に国際化を進め、現代化発展の趨勢の波の中、商業銀行(とくに国有商業銀行)の発展は競争能力の格差、不良資産率の高さ、資本充足率の低さなどの厳しい挑戦に直面し、根本的に革新が進められた。”政治銀行家”は幕引きが必要で、市場化に主導された真正の”銀行家”が銀行業の現代化発展を導き、改革が新たな段階に入ることが求められた。改革発展の要求に従い、一面では国有独資商業銀行は、国家が支配株を持つ株式制商業銀行に転換し、国有商業銀行は国家支配(国家控股)株式制商業銀行に改造され、順序を定めてそれぞれ上場された。他面では、金融のグローバル化、経済の一体化的発展の背景のもと、政策性銀行、その他の株式制銀行、都市商業銀行、農村信用社、外資銀行等など多元化、多層次の銀行体系は不断に改革方式の探索を続け、さらに経済体制を完全にし、社会の多様な要求を満たすことが求められている。
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