見出し画像

4-3. 私個人の認識の変化について

杜润生自述  人民出版社2005年 4-3.以我个人的认识变化为例
自留地の効果(效應)
p.111   私の思想変化は、主要には1956年中央農村工作部を離れてからである。あのとき私は中国科学院に来ていたが、いつも農業と農村問題に関心をもっていた。私は誤りを犯して移動させられたのであり、誤りがあったのであるから、改めて再度学ぶべきであった。それゆえ心の中にはいつも農村問題が「考えても考えても忘れることのない」こととしてあり、一面で自己批判(自我検査)し、また一面で傍観者の役を果たし、絶えず反省し(不断反思)、歴史実践に答案を求め、真相を求め(渇望水落石出)、見極めよう(看出究竟)とした。
 あの一時期、私に最も重大に思えたのは、自留地政策の増産効果(效應)だった。農民は自留地と集団(集体)統一経営の土地に異なる態度をもっており、経済効果(効益)はとても異なっていた。2分の自留地が1亩(ムー)の集団地の収入と等しく種糧食生産量は少なくとも1倍以上、もっと多かった。私の故郷山西では1ムー当たり1000斤を超える自留地は少なくなかった。当地の農民が私に言うのは、自留地を用いることにすれば、糧食を食べることを心配することはない。私はいつも考えた、自留地という公有私営メカニズムは推進拡大することができるか?あるいは農村経済を困窮から抜け出させることができるか?かつてのソ連の集団化の方法は、両極分化を抑制できたが、人々を貧困の苦しみに忍ばせた。
 「文化大革命」の間、私は再び少しマルクスの書物を読んだ。マルクス主義は共産主義の目標の一つを、「人の全面的発展」と定めている。マルクスは、農民は血縁関係で縛られた氏族共同体の中にそれぞれが孤立した生産生活方式から抜け出ることを予測した、次第に物的依存と人的依存から抜け出ると、そして一定の個人財産権利を保有することから、その基礎上で自由交換を進め、最後は「自由人の連合体」に向かうと(予測した)。
 私はいつもこう考えている。農民が自由人の連合体に向かう、依存関係や依存された関係から抜け出るには、ある発展段階を経過する必要がある。農民が土地改革を経て、封建独占を消滅させ、小さな土地を得た後、このとき市場関係、商品関係が保留されていれば、それは農民の自由発展の機会になり、生産力発展に有利であり、社会主義への過渡にとり有利である。もしもこの段階を飛ばしてしまい、、農民の土地財産を没収して連合体を作っても、生産力条件も文化条件の支持もなく、経済は貧しく、システムは閉鎖され、主体意識や民主意識を育てることはむつかしく、依存そして被依存関係から抜け出ることもむつかしい。他面では、依存される側の隊長、社長は容易に群集利益権力の独占者に変化し、以前ソ連社会主義制度下の農村で発生した否定的現象に似たものが出現する。
 各戸生産責任制(包産到戸)は分権性質の改革である。分権は農民の独立自主の性格を養成(培養)するのに有利であり、新たな連合を立ち上げる前提となる、個人の社会交流(交往)を発展させるのに有利である。このような体制改革に、経済市場化政策が加わることは、1960年代の農民が自発的に実行したあの種の各戸生産責任制モデルに比べ、現代経済と社会主義発展の要求にさらに具体的に答えるものである(更能体現)。
   「家庭農場、現代化経営」―外国での見聞
 1979年以後、私は南スラブ、北欧各国、フランス、アメリカ、英国、西ドイツ、日本にゆき、家庭農場がなお大量に存在するのを見た。農村には雇用経営の農家もあるが、両極分化は重大(厳重)ではなかった。欧米各国で見られるのは、古い資本主義国家の農村家庭経営の比重は平均して80~90%以上で経営規模はとても大きい。一つの農場は小さいもので数万平方メートル、大きいものは数十万、数百万平方メートル、人を雇わない場合は忙しいときにアルバイトを雇うほか、あらゆる現代技術を応用している。家庭経営と農業現代化は対立物ではなく、互いに浸透するものだった(彼此可以相容)。
   各戸生産責任制が1979年初め安徽,貴州などで大量の事実で積極的に評価されたことは、私にとり、家庭経営を合作制に取り入れる信念をさらに固めることにつながった。
 私はこうした認識をもって、新たな改革試験に入ったのである。

#自留地 #包産到戸    #土地改革   #杜潤生


main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp