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張藝謀 活着 1994film

   1994年公開の中国映画。1993年発表の余華の小説の映画化。張藝謀(1950-)監督作でありながら、大陸では公開されていないとも。映画評を見ると、おおむね好評だ。あれっと思ったのは、大躍進の50年代のところ、土法で鉄を作る話さらに反右派闘争の話はされているもののの、飢餓の時代については描かれていないこと。
 その反面、繰り返された政治闘争の反面で、庶民の生活は連綿と続いていたことを、描けているようにも感じた。土法で作られた、グロテスクな鉄の塊が赤のリボンで飾られた様子、文革時の結婚での結納品やお祝いの毛沢東の著作がラッピングされた様子、などは、まさにそういうことがあったのだろうと、思った。他方、家族を思う心情には共感できる点も多い。
 主人公、福貴は、賭け事で家屋敷を失い、影絵師になるのだが、本来の出自は資産家である。戦後、階級身分を詮議されたときに、遡ってそこをあまり追求されず、新中国でスタートをきれたという映画の展開には、そんなに甘くはなかったろうとは感じた。なお福貴は新中国で町の片隅でひっそりと生き抜くが、文革の時に影絵の道具も旧悪として燃やすことを強制され、影絵も廃業する想定。
 そこを置いておくと、政治闘争が庶民の生活にはいってきてその参加を強制されたとき、庶民がそこをどのように生き抜いたのか。大躍進のときの反右派闘争や、文化大革命のときの混乱が、庶民にはどのように見えたか、この映画はそれらを上手に伝えているようにも思えた。そして主人公は、社会的存在としては、高い身分にあるわけでも、尊敬を受ける仕事をしているわけでもない存在。この映画の上映が、大陸で認められなかった理由は、まさにこうしたストーリーや設定にあるのかもしれない。
    主演は葛優(1957-)。この映画の演技でカンヌ映画祭で主演男優賞を得ている。その奥さん役を務めている女優は鞏俐(1965-)である。

参照 余華「中国について」

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