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谷保(やほ)天満宮

 谷保(やほ)天満宮を訪ねた。日曜に尋ねた目的は、日曜公開とHPにある宝物殿を拝観するためであったが、コロナで今もなお拝観できないと聞いてがっかりした。
 谷保天満宮のいわれは古い。当地に配流されていた菅原道真の第三子が道真の死(延喜3年903年)を知って、道真を祀ったのが起こりという。それを示すかのように鎌倉期の狛犬や扁額(建治元年1275年藤原経朝筆によるもの)など古いものが伝わっており、それを拝観したかったのだが。
 社殿のうち本殿は寛永年間(1624-1643)の造営とされ、拝殿は江戸末期の造営という。残念ながら築年が特定されていないようだ。
 甲州街道の交通量の多い道を渡って参道に入ると、参道が下に下(くだ)ってゆくことにまずおどろく。社殿が参道奥の一段低いところにあるのだ。解説によれば、もともとは街道もこの低い位置にあった。ところが17世紀に街道の位置が現在の位置に変わったとのこと。
 参道を少し進むと、江戸時代に寄進された石灯篭が左右に一つずつ残る。社殿に向かって右のものが文化七年(1810年)、左のものは文政13年(1830年)の寄進である。
 神社を取り巻く森が、街道そばに大きな駐車場が作られるなど、切り開かれつつあるのは、交通安全祈願を掲げる神社として致し方がないことであろうか。
    江戸時代の文化5年1808年、谷保天満宮ははるばる目白まで出かけて御開帳をしたようだ。その商売気を蜀山人は次のように読んでからかった。
 神ならば出雲の国にゆくべきに目白で開帳 やぼな天神
 200年経ってもこの天神さまが、この歌で記憶に残るのは気の毒ではあるが、よくできている。
 アクセス 今回は中央線立川経由、南武線谷保で下車した。徒歩2分だが、天満宮に向かう道が、私道のような狭い道であることに少し戸惑った。

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