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厲以寧 共同富裕を論ずる 1992


論共同富裕的經濟發展道路  本文原載北京大學馬克思列寧主義研究所編《馬克思主義與中國社會主義現代化》  厲以寧改革論集   中國發展出版社   2008年 pp.72-91, esp.73-74(厲以寧は、社会主義について共同富裕、誰もが豊かになることに本質がある、と論じている。教科書的で決しておもしろい文章ではないが、思考の枠組みとして参考になる。最初に両極分化であってはならないと始めて、しかし最初はそうできないことを説明している。そこで問題は、社会主義経済を名乗る以上、両極分化が現れてきたらそれをどうするか、に移るように思われる。この点でたとえば馬洪は懸念を表明しているし、劉国光ははっきり是正の必要を述べている。厲以寧はこの点で非常にあいまいである。)

p.73 社会主義の経済発展は全体労働者の共同富裕を目的とするものである。共同富裕は社会主義の根本原則であり、ただ社会主義制度のもとで共同富裕というこの目的は実現できる。簡明に要点をつかんだ(扼要)言葉で、社会主義経済の発展と資本主義経済の発展の本質的区別を述べるなら、つぎのようにいってよい。資本主義経済の発展の結果は社会の貧富の懸隔,両極分化である。他方、社会主義経済の発展道路は全体労働者の共同富裕道路に向かって歩むものである。
 知るべきであるのは、社会主義制度の最も本質的な特徴は、公有制を主体とする社会主義社会の所有制体系を始める(建立)ことにある。公有制を主体とする所有制体系は社会主義的収入分配関係、そして必然的に、労働に応じた分配を主体にした多様な分配方式を決定する。所有制の上で公有制を主体とすることは、収入分配の上で労働に従った分配が主体にすることであり、これは社会主義経済が共同富裕を実現する目的の道路を前進する基本条件である。社会主義経済の発展がもし共同富裕のこの原則から外れると、貧富の懸隔がもたらされ、両極分化の結果をもたらす。それは成功したとはみなすことはできない。ただ失敗したと考えられるだけである。

 共同富裕は社会主義の一つの根本原則である。我々が必ず依拠(遵循)すべきものである。しかし究極的にいかに共同富裕を実現できるかは、一連の経済発展戦略、経済体制、経済政策そして理論、実践にわたる問題である。
 まず知るべきであるのは、共同富裕は生産力が大発展した条件下の産物であり、低い生産力水準と併存できないものである。経済発展が遅く、その程度が低く、総生産価値が少ない一人あたりも少ない、であればどのような方式で分配しても共同富裕は実現できず、共同貧困に面するだけである。言葉を代えれば、ケーキが小さければ、どのように分配しても、貧困(ケーキがちいさいこと)から逃げることはできない、まずはケーキを大きくして、そのあとで合理的方式で分配することで、一人ずつの分配額を大きくでき、共同富裕も可能になり実現できる。それであるから、経済を発展させ、生産力水準の上昇を促進し、総生産価値と一人当たり総生産価値を大幅に成長させることは社会を共同富裕に歩ませる前提である。
 第二に知るべきであるのは、事物の発展が不均衡であるのは、普遍原則(規律)だということである。歴史の原因によるか、各地区の資源分布の不均等によるか、さらには各生産単位そして各労働者の間の内部条件と外部条件の差異によって、富裕に等しくなる(同歩富裕)のは現実的でない。共同富裕は、富裕に等しくなると同じではない。共同富裕は過程であり、ただ少しずつ実現できるものである。(訳者 平均主義的分配から豊かさが生まれないこと、得たものをすべて消費しても豊かさは生まれないことを続けて説明。さらに人々が収入を増やそうと、あるいは生産力を引き上げようと努めることが、貧困からの脱出につながることを説明した文章が入る。中略)それゆえに共同富裕はただ合理確定した消費と蓄積(積纍)の間の比例条件のもとで実現できるのであり、ただ一部の地区、一部の人が先に豊かになることで可能になる。先に富んだものが後の富を導き(帯動)、先に富んだものが後の富を助ける方式で次第に実現するものである。

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