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鄧小平 白猫黒猫論 1962/07/07

這是鄧小平同志在接見出席中國共產主義青年團三届七中全會全體同志時講話的一部分。《鄧小平文選 第一卷 第二版》人民出版社1994年,pp.322-327, esp.322-324 いわゆる白猫黒猫論(黒猫白猫論 猫論ともいう)のもとになる文章がここにある。

p.322 この時期、我々は経済上若干の措置をとった。全体として情況は前の一時期に比べて少しよい。少し良いというのは、我々の生産が発展しているとか、我々の調整工作が成果を上げ始めたということではない。食べるもの、着るもの、用いるもの、(が不足している問題)は、まだ一挙にとても早く解決はできない。しかしわれわれの現在の調整方針を行うことができ、困難の克服を少し短くすることができ、改善(好転)の時間を獲得(争取)できるだろう。
 我々は困難を克服し、財政経済情況の根本的改善(好転)を獲得(争取)せねばならず、農業の回復から着手せねばならない。農業がうまく行われねば、工業には希望がなく、食べるもの、着るもの、用いるもの問題も解決できない。一つの方策(方面)は、農民の積極性を喚起させる(調動起來)ことであり、農民をして農業生産を積極生産できるようする、糧食がより多くなることで、経済作物の回復が始まる(というものである)。別の方策は工業が農業を支援することである。
 1957年に糧食生産量は3900億斤(1億9500万t 1斤を0.5kg 0.0005tで換算 福光)去年1961年は2900億斤(1億4500万t)。今年は3000億斤(1.5億t)に到達するか分からない。気候も問題であり、今年一部の地方は水害を受け、また一部の地方は旱魃であった。全体としてみると、今年の糧食生産は昨年にp.323  比して悪いとはいえないが、ただ3000億斤に達するだけなら、さらに900億斤(4500万t)増加すれば、ようやく1957年の水準に到達できる。われわれは、糧食生産の回復を起こすことができるのには、どのような方法を用いるか、どれだけ長い時間を要するか研究せねばならない。糧食産量が増加すれば、さらに経済作物の回復も生じる。
 農業それ自身の問題は、現在からみて主要にはなお生産の在り方が(生産関係上)解決されなばならない。これはすなわち農民の積極性を喚起せねばならないということである。現在全国にはなお幾つかの別の農村人民公社が公社所有制を実行しており、人々は分散(拆散)を望まず、よく保持できている。生産大隊を会計(核算)単位とする地方もある。比較的多いのは生産隊を会計単位とするものである。生産隊を会計単位とする地方で、各戸責任制(包産到戸)、農地ごとの責任制(責任到田)、五統一(生産資料の集団所有、労力・耕牛、生産計画、刈り取り、分配まで統一、つまり主要な農業活動は集団で行うが、一般の農業活動は個人に任せるもの)など、現在若干の新たな情況が出現している。各種の各戸責任制はおそらく全体の百分の二十に過ぎないが、これは大きな問題である。この問題にいかに回答するか。中央は八月会議で研究を行うように準備している。現在は「百家争鳴」である。このような問題は「百家争鳴」すべきである。みんなが意見を出し、最後に解決策を探り出す。
    生産の在り方(生産関係)は究極的にはどの形式が最も良いか。おそらくとるべきなのは、ある形式のあるところが、比較して容易かつ迅速に農業生産を回復させ発展させることができるとすれば、すぐにその形式を採用するといった態度ではないか。人々がその形式を採用したいと思うなら、すぐにその形式が採用されるべきで、法律規定に合わないものは法律規定に合わせるべきである。これはすべて、最初の段階の意見であり、最後の決定ではなく、以後は考慮しなくてもよい。劉伯承同志はいつも四川の話の一節を講じる。「黄色い猫であれ、黒い猫であれ、ネズミをしっかり捉える猫が良い猫だ」。これは戦争(打仗)の話である。われわれが蒋介石を打ち負かすことができたのは、古い常識にとらわれず(不講老規矩),慣れた道を通らず(不按老路打)、全ては情況をみることで、勝利を確実にしたのである(打贏算數)。現在農業生産を回復せねばならないので、同様に情況をみて、生産の在り方として、ある固定不変の形式をともかく採用ということはあってはならない(不能完全采取)。現在からみて、工業農業のいずれを問わず、後退の一歩を辞めない限りは前進することはできない。あなたはこの後退をp.324  承認していないのではないか?。農業は後退してないか?。公社は後退してないか?。公社の会計(核算)は大隊の会計のために悪化し(退)、大隊の会計は生産隊の会計のために悪化している。今は、群衆の積極性を十分発動することに注力して、彼らの潜在力を発揮させるべきだ。(その)第一歩は糧食(生産)の回復であり、第二歩が経済作物の回復、同時に農具や家畜(牲畜)もゆっくりと回復を始める。これは生産関係の調整であり、われわれを試すもの(考驗)である。当然、我々の全党は一つの統一された意見(主見)をもつべきであり、一つの意見をもつべきである。たとえば、生産隊を基本会計単位として保持するには、人々(群衆)を説得し、幹部を強化せねばならない。これは可能だろう。もう一つ可能なのは、ある種の自己責任制(有些包產到戶)である、もしもそれが合法化されればであるが。これはすべて(今)考えているところであり、最終的にどのような措置をとるかは、我々の全党が考慮しているところであり、中央が考慮しているところである。現在はこの問題を冷静に考慮する必要がある。過去においてこの種の問題を考慮がまだ十分でないなか、安易に全国統一を実施した。やり方については、異なる地区、異なる条件、特殊な情況を十分照らし合わせ検討するべきであった。われわれは十分考慮しないで、あまりに安易に決心、あまりに安易に(統一した方法を)普及させた。過去に私は話したことがあるが、我々は(政治)運動しすぎだ。すべて運動、すべて全国規模(の運動だ)。土地改革運動のように運動すべきこともあるが、段階が異なれば方法も違うものではないのか。
    上述していたところはすべて農村方面で取られるべきいくつかの政策についてで、目的はすなわち少し多くの糧食を取り、少し多くの木を植え、耕す牛を増やし、農民がこれまでより満足し、一面で自身少し多く食べ、一面で国家に少し多く供給できることである。全体として言えば、全国において、集団経済を強固にせねばならないこと、すなわち社会主義制度を強固にせねばならないことは、根本の方向である。当然であるが、指導中の具体問題について解決せねばならない。農村においては、基層の生産関係を調整せねばならず、多種多様な形式が承認されねばならない。私個人の考え方としては、できれば(可能是)多種多様な形式が好ましい(比較好)。(以下略)

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