朱陰貴「1918-1937年の中国証券市場」
朱陰貴《近代中囯・・金融與証券研究》上海人民出版社2012年244-265
p.244 証券市場または資本市場は、商品経済と信用制度が一定の発展段階に至ってのちに、有価証券が発行流通し併せて取引(交易)が進行する市場である。証券市場を通じて発行流通する有価証券には株式制(股份制)企業が発行する株券(股票)、社債(公司債券)から政府発行の国庫券と公債券などまでを含む。具体的に言うなら、証券市場は一定の時間、一定の地点において、一定の法律に従い、一定の方式を通じて、一定の商人により発行され取引される有価証券の場所である。証券会社(公司)と証券取引(交易)所は証券市場の主要組成部分であり、外在表現形式である。証券市場を通じて有価証券に対して売買流通が進められることで、社会資金の活用、直接融資の実現、企業の創業を小口資金を集めて実現(集腋成裘創辦企業)、政府の財政困難を解決し、資源の配置を改善し、社会経済発展など多様な目的を推進することができる。
近代中国で最初に株券を発行することで資金を集めて創業した株式制企業は1872年に設立された輪船招商局である。このあと、1880年前後、40社近い企業が市場で株券を発行して資金を集めることで創業した。洋務運動が勃興(掀起了)したときに、株券の発行売買を通して新式企業は資金を広く資金を集める方式で起こされた新式企業の小さな高波をもたらした。この小さな高波において、証券取引所の雛形の産出が促進された、客に代わり各公司の株券を本業として売買した企業「上海平准股票公司」である。この後、20世紀初めの1914年に至ると、
p.245 新たに成立した北京政府は証券取引を許し規制付ける『取引所法(交易所法)』を正式に公布(頒佈)した。また数年を経て、1918年までには、北京証券取引所(交易所)、上海商品物品取引所と上海証券取引所が前後して北京政府の批准を得て成立した。この時1872年に株券を発行して資金を集めた輪船招商局はすでに、半世紀近くを経ていた。
北京証券取引所、上海商品物品取引所、そして上海証券取引所の前後しての成立は、近代中国証券市場が証券取引所時代に突入する標識(標志)であり、中国証券市場が一定の歴史発展段階を経て、新たな歴史時期に突入したことを示している(説明)。しかし、理解がむつかしいが確かな(確鑿)事実は1918年中国証券取引所(交易所)の成立から1937年抗戦全面爆発に至るまで、さらに20余年の発展を経ながら、新歴史時期に突入した中国証券市場がなお幼稚で畸形的な資本市場だったことである。
以下では、20世紀20年代初めに爆発した「信交風潮」(特に1921年上海での取引所と信託公司の乱設が引き起こした金融風潮を指す)、二三十代証券市場の「財政市場」性質と上海の外の証券取引所とは、まるで曇花一現(稀有なことがおこり忽ち消え去る)の実例であるが、この観点の論証を進める。この段階の時期を通じて、中国証券市場の発展状況と変化の特徴を分析することは、我々にこの側面と角度を用いて、近代中国の国情をさらに深く理解することを可能にする。
一 20世紀20年代初めの中国証券市場と「信交風潮」
中国の株券発行と売買の半世紀近くの歴史を経てようやく証券取引所が成立した。この歴史事実は厳粛(嚴峻)であるが、元来の状況の継続(延續的時期)も同様に長く,中国証券市場が成熟期に入ったことを表してはいない。20世紀20年代初め、中国証券取引所は成立後まもなく、上海において爆発した「信交風潮」は、半世紀の発展を経た証券取引所時代の中国証券市場が、なお幼稚で無秩序の発展段階にあることを集中体現するものであった。
p.246 1920年7月1日、北京政府の批准を経て、また1年前後の準備期(籌備期)を経て、上海証券物品取引所は上海で正式に開業した。これは1872年に中国が株券で資金を集める方式で輪船招商局を成立させ、中国発行かつ本国株券売買ゼロの記録を打破して以来、約半世紀経ってようやく上海に成立した最初の証券取引所であった。
しかし1921年末、上海では取引所、信託公司の最初の乱設と、株券売買が引き起こした金融風潮が爆発した。この取引所の乱設は、上海証券物品取引所と上海華商証券取引所は成立後、経営状況は比較良好であったことから、一部の人々は証券交易所を設立することは、金もうけの早道(捷徑)と考えるようになり、投機を引き起こす金融風潮が進行した。
新中国建国以前中国金融史
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