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胡耀邦 (1915-1989)

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「胡耀邦文選」人民出版社, 2015 ほか
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2019年9月の記事一覧

胡耀邦 病と負傷に耐え長征 1934-35

1934年10月、胡耀邦は中央紅軍とともに瑞金から撤退する。それから1年後1935年に延安に入るまでを追う。   胡耀邦伝 人民出版社2005年 40-62   陳利明 胡耀邦(修訂版)上巻 人民日報出版社2015年 50-65  胡耀邦は中央縦隊の中の中央工作団の一員であった。中央縦隊には高齢の幹部、三十数名の女性を抱え、弾薬などの製造器具、印刷機、文書などを抱えての移動で毎日十数キロの移動が限界だった。ほかの年少幹部とともに背中に一枚の毛布衣服を背負い、5キロの米

胡耀邦 中共中央の延安への移動と抗日大学一期生としての学習 1937

胡耀邦伝 人民出版社2005年 63-86  陳利明 胡耀邦上巻 修訂版 人民日報出版社2015 66-79  満妹 回憶父親胡耀邦上巻 天地図書2016 84-98 (写真は成城大学3号館 2019年9月6日撮影) 1935年12月。中央政治局は東征山西戦役を起こす方針を決定する。1936年2月毛沢東が総指揮、彭徳懐が副指揮を東征軍(中国人民紅軍抗日先鋒軍)の先頭部隊は、雪が降る夜、黄河渡河を実行しようとした。このときは流れの速さにあきらめるが、2月20

胡耀邦  中央軍事委員会総政治部組織部部長に就任 1939/第二次大戦後 病に倒れる 1946/03

 胡耀邦伝 人民出版社2005年 86-101  蕭一平 延安整風運動-回憶與研究 中央文獻出版社2012   陳利明 胡耀邦上巻 修訂版 人民日報出版社2015 79-95  満妹 回憶父親胡耀邦上巻 天地図書2016 99-112    1939年3月。胡耀邦は毛沢東の指名により中央軍事委員会総政治部組織部副部長に就任。総政治部主任は王稼祥、組織部長は方強。王稼祥は遵義会議で毛沢東を支持して、毛沢東の指導権確立に貢献。腹部に重傷を負ったまま長征にしたがい、その後、ソ連で

胡耀邦 軍政治委員として転戦(1946/7~1949/12)。四川省川北で臨時工作委員会書記に就任。

胡耀邦伝 第1巻 人民出版社2005年 98-172  陳利明 胡耀邦上巻 修訂版 人民日報出版社2015 95-156  満妹 回憶父親胡耀邦上巻 天地図書2016 110-162 胡耀邦は延安をはなれたあと(1945年11月)、一時、肝炎を発病して、入院治療をよぎなくされた。そのあと1946年7月に職場に復帰している。ポストは、軍隊の中で政治委員というポストである。その後、行政職への移動は後述するように1949年12月。その間の3年余り各地の戦場で軍人と

胡耀邦    地方行政を担う 1950-52

 胡耀邦伝 第1巻 人民出版社2005年 168-230  陳利明 胡耀邦上巻 修訂版 人民日報出版社2015 156-190  満妹 回憶父親胡耀邦上巻 天地図書2016 164-208  すでに述べたように、1949年10月の開国大典に胡耀邦は出席している。また中国人民協商会議第一回全体会議にも。そこで統一戦線のもと、多くの民主人士、各民族、各党派、各界人士とともに協力して新中国を作るのだという思想を四川に持ち帰っている(写真は定泉寺石仏 左側に延寶七年1679年の銘

胡耀邦 青年団中央委書記 1952-62

 胡耀邦伝 第1巻 北京聯合出版公司2015年 227-320 (今回からこの本については2015年に3巻本として出版された北京聯合出版公司版を使う)  陳利明 胡耀邦上巻 修訂版 人民日報出版社2015 190-282  満妹 回憶父親胡耀邦上巻 天地図書2016 212-262  (写真は心光寺の石仏。万治二年1659年の銘が読み取れる) 青年団中央書記所第一書記に就任 1952年8月  胡耀邦の処遇については、政務院建築工程部常務副部長というポストが想定されていたが

胡耀邦 混乱期の地方行政 1962-65

 胡耀邦伝 北京聯合出版公司2015年 319-386  陳利明 胡耀邦 修訂版 人民日報出版社2015 282-351  満妹 回憶父親胡耀邦 天地図書2016 262-301 湖南省の湘潭の第一書記 1962-64  胡耀邦は青年団中央委員会第一書記のまま、湖南省の湘潭(シアンタン)、そして陝西(シャンシー)省、という二つの地方の責任者(第一書記)を1962年から65年にかけて勤めている。いずれも大変扱いが難しい地方で、最後は文字通り体を壊して養生のため北京に戻

胡耀邦 自己批判に応ぜず 1965-75

 胡耀邦伝 北京聯合出版公司2015年 389-425  陳利明 胡耀邦 修訂版 人民日報出版社2015 352-392  満妹 回憶父親胡耀邦 天地図書2016 300-364   (写真は心光寺の石仏。碑文に元禄九年1696年と読める)  1965年6月に胡耀邦は養生のため北京にもどり、10月6日に鄧小平から、処分の必要なし、との通告をうけた。1965年11月。胡耀邦が私的に付き合いのある将軍罗瑞卿(ルオ・ルイチン)が毛沢東思想に反対し政治を突出させることに反対した