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毛沢東(1893-1976)

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写真は徐州から南京に向かう毛沢東 1957年3月19日
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毛沢東「漢族と少数民族の関係」(十大関係論)1956年4月25日

 毛沢東「十大関係論(論十大關係)」(1956年4月25日)より《毛澤東文集第七卷》人民出版社1999年pp.23-49,esp.33-34 p.33   六 漢族と少数民族の関係    漢族と少数民族の関係について、我々の政策はある程度穏健妥当であり、またある程度少数民族の賛成を得ているものである。我々は大漢族主義反対を強調(着重)する。地方民族主義にも反対するが、そのことは一般的には重点ではない。  我が国の少数民族の人数は少ないが、占有している区画(地方)は大きい。人

毛沢東「少数民族問題」(連合政府を論ずる) 1945年4月24日

毛澤東《論聯合政府》(1945年4月24日)載《毛澤東選集第三卷》人民出版社1991年pp.1029-1100, esp.1083-1084 p.1083  第九 少数民族問題  国民党反人民集団は中国に多くの民族が存在することを否認し、そして漢族以外の少数民族を「宗族」(父を同じくする家族、あるいはその家族の一人、嫁に出た女性を除く。原注によれば蒋介石《中國之命運》の中にある表現とのこと。)としている。彼らは各少数民族に対して、 p.1084   清朝政府と北洋軍閥政府の

李維漢 国民党の大漢族主義 1940

李維漢《關於回回民族問題的提綱》(1940年4月)載《統一戰綫問題與民族問題》中共黨史出版社(2014年7月 1982年版を大幅に増補したもの)pp.555-563, esp557-558 冒頭「五族共和」の説明がある。 p.557 二. 国民党政府の大漢族主義政策とその影響  ウイグル民族に対する大漢族主義のやりたい放(猖獗)は清代に始まる。清朝の統治者は、ウイグル族間の争い(闘争)をできるだけ利用(挑撥)して,自身の日増しに衰える統治を維持するのに利用(籍以)した。同時

劉少奇「民族区域自治問題」(憲法草案報告)1954年9月15日

憲法草案報告について(關於中華人民共和國憲法草案的報告)(1954年9月15日)《劉少奇選集下卷》人民出版社1985年pp.132-173,esp.162-167 p.162  憲法草案の序言と多くの条文は国内各民族間の平等友愛互助の関係を規定し、各少数民族の自治権利を保障した。  中華人民共和国成立以来、すでに民族圧迫制度は廃除され、国内各民族平等友愛互助の新関係が建設され、各少数民族地区の政治、経済と文化の事業は次第に発展を始めており、人民生活も次第に改善し始めている。

劉少奇「少数民族問題」(八大政治報告)1956年9月14日

中国共産党第八回全国代表大会での政治報告(在中國共產黨第八次全國代表大會上的政治報告)(1956年9月15日)《劉少奇選集下卷》人民出版社1985年pp.202-276, esp.250-253 p.250 少数民族問題を正確に処理することは、我々の国家工作の中の重大な任務の一項目である。我々は各少数民族の経済と文化における進歩を支援するさらに大きな努力をせねばならず、各少数民族をしてわが国社会主義建設事業で積極作用を十分に発揮させねばならない。  少数民族の状況は過去数年

少数民族問題 李維漢 大漢族主義再批判 1957

李維漢《關於建立僮族自治區問題的一些看法和意見》(1957年3月)載《統一戰綫問題與民族問題》中共黨史出版社(2014年7月 1982年版を大幅に増補したもの)pp.605-621, esp.610  後段に沙文主義chauvinisimがでてくる。日本では最近、この言葉を使わないように感じた。なお写真は地下鉄飯田橋駅の換気塔、アート作品として設計されている。 p.610  (六)  大漢族主義と地方民族主義の問題への批判を再度述べることにする。大漢族主義が存在しており、目