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毛沢東(1893-1976)

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写真は徐州から南京に向かう毛沢東 1957年3月19日
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#薄一波

三反運動 五反運動 1951末‐1952

(薄一波『若干重大決策与事件的回顧』中共党史出版社 1997修訂版の2008年の重版による。) P.98 7. 腐食を防ぐ方針のもと、三反運動を展開する。  抗米援朝、土地改革、反革命鎮圧の3つの運動に勝利したことを基礎に、党中央と毛主席は、1951年末に反汚職(貪污)、反浪費、反官僚主義の「三反」を開始した。これは我が党が政権を握って以後(執政後)、資産階級の党への腐食に意識的に抵抗克服し、共産党人の民を基本とする廉潔な政治を保持するための最初の成功した実践であった。

整風運動と反右派闘争 1957

薄一波 若干重大決策与事件的回顧 下巻よりp.399 22. 『人民内部の矛盾を正確に処理する問題について』の発表   『人民内部の矛盾を正確に処理する問題について』は毛主席が社会主義時期に書かれた最重要著作の一つである。同書は唯物弁証法を用いて社会主義社会の基本矛盾を科学的に分析し、社会主義建設中の一連の重大問題を正確に提出明白に述べて、わが国社会主義事業の発展のため理論基礎をしっかり固めた(奠定)。その発表は1950年代中期のわが国政治生活中の一大事であっただけでなく、中

劉少奇の新民主主義構想 1948-1949

(薄一波『若干重大決策与事件的回顧』中共党史出版社 1997修訂版の2008年の重版。執筆開始は1988年。最初の刊行は1993年。写真は1950年6月中国人民協商会議における劉少奇である) 1. 北京と天津の接収 p.1 我が党が指導する中国革命は、毛主席が提出した農村が都市を包囲し、その後都市を取得するという路線(道路)に沿って、長期のこの上なく苦しい(艱苦卓絕)闘争を経て、1949年についに勝利を勝ち取った。これに応じて党の工作の重心は農村から都市に移動した。これは

新税制をめぐる議論 1953

薄一波 若干重大決策與事件回顧;于光遠 新民主主義社會論的歷史命運;公私一律平等納税;新民主主義社会 1953年の新税制をめぐる議論は要注意である。1952年12月31日に人民日報を通じて新税制が発表されると、各省市から書簡が寄せられたほか、「公私一律平等納税」という新税制のスローガンが資産階級の立場に立つものとの毛沢東による批判を引き起こした。確かに、合作社に認めていた減税を取り消すというこの税制は、社会主義社会を目指す政権として少し変である。背景には、優遇税制が税回避を

毛澤東-鄧子恢  小脚女人批判 1955/07

薄一波 若干重大決策于事件的回顧より 写真は鄧子恢のもの。(鄧子恢の中央農村工作部部長就任は1953年2月。その後、1955年1月初め、鄧子恢は劉少奇、周恩来らに農村の緊張情況を報告。中央政治局では、農村合作運動を当面抑制(控制)そることを決定していた。この決定について毛沢東は同意していたが、1955年4月下旬、自ら南方を視察、農民の積極性を高いと見て、鄧子恢の方針は、農民の積極性を妨げると判断するように変化した。5月さらに6月下旬と鄧子恢と議論している。この6月下旬の議論は