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毛沢東(1893-1976)

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写真は徐州から南京に向かう毛沢東 1957年3月19日
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#中国共産党

毛沢東「漢族と少数民族の関係」(十大関係論)1956年4月25日

 毛沢東「十大関係論(論十大關係)」(1956年4月25日)より《毛澤東文集第七卷》人民出版社1999年pp.23-49,esp.33-34 p.33   六 漢族と少数民族の関係    漢族と少数民族の関係について、我々の政策はある程度穏健妥当であり、またある程度少数民族の賛成を得ているものである。我々は大漢族主義反対を強調(着重)する。地方民族主義にも反対するが、そのことは一般的には重点ではない。  我が国の少数民族の人数は少ないが、占有している区画(地方)は大きい。人

朱嘉明先生訪談録:1958-1967

 朱嘉明『中国改革的岐路』聯經(臺北市)2013年1月pp.16-25(1958年小学校への進学から1967年文革2年目まで)。中国の文化大革命について、外部から見ていて釈然としないのは、殺人や文化財の破壊を行ったことの責任が、今も問われていないことだ。これについては、文化大革命だけでなく、そこに至るまでの中国の近代史をみても、同様の殺人や文化財の破壊があること。文化大革命に限定して言えば、その主犯は幹部の子弟と目されること(宋彬彬について)などを指摘できよう。  ところで文

毛澤東的故事 (2) 1911-1921

黃暉 毛澤東遺物的故事 湖南人民出版社 2011より  毛沢東について1911年(18歳)-1921年(28歳)までをみる。基本としては長沙にいた時期である。この間、1917年にロシア革命が起きたときに、それに強い関心をもったことは確かであるが、マルクス主義の文献に触れるのは1920年と意外に遅い。確かにそこからは一直線であるが。それと意外であるのは(ほかの中国共産党の指導者についても実はいえることだが)、簡単な入門書を数冊読んだだけで革命運動に進んでいることだ。もちろんそこ

梁漱溟と毛沢東:延安での最初の会談(1938年1月)

 梁漱溟と毛沢東との関係を語るうえで、新中国成立前の両者の関係を知る必要がある。新中国成立前、梁漱溟は2度にわたり延安の毛沢東を訪ねている。ここではその最初の訪問(1938年1月)について述べる。このときの二人はともに、国防参議会の参議員。統一戦線の名のもとに、集められた25人の参議員の一人である。  1937年7月7日の盧溝橋事件による抗日戦争全面化に対して7月15日、中国共産党は、国民党に対して「合作宣言」を出して、共同抗戦を呼びかけた。これを受けて、8月11日国民党中央

毛沢東「少数民族問題」(連合政府を論ずる) 1945年4月24日

毛澤東《論聯合政府》(1945年4月24日)載《毛澤東選集第三卷》人民出版社1991年pp.1029-1100, esp.1083-1084 p.1083  第九 少数民族問題  国民党反人民集団は中国に多くの民族が存在することを否認し、そして漢族以外の少数民族を「宗族」(父を同じくする家族、あるいはその家族の一人、嫁に出た女性を除く。原注によれば蒋介石《中國之命運》の中にある表現とのこと。)としている。彼らは各少数民族に対して、 p.1084   清朝政府と北洋軍閥政府の

李公朴、聞一多暗殺事件(1946年7月)と梁漱溟

 中国民主同盟の中央執行委員であった李公朴、聞一多が昆明で国民党の特務(スパイ)により暗殺されたとされるのは1946年7月11日と15日のことである。この事件は、共産党と国民党の間に立つ、中国民主同盟にとって、国民党を見限ることになる、大きな転換点になる事件だと考えられる。そこに到る時間的な流れを確認したい。ポイントの一つは国共が全面内戦に入る局面での出来事である点だろう。  ところで以下の時間の流れで分からない点の一つは、1946年5月20日(別の資料では5月18日)いった

毛沢東「大漢族主義を批判する」1953年3月16日

毛澤東《批判大漢族主義》(1953年3月16日)載《毛澤東文集第六卷》人民出版社1999年pp.269-270 (写真は2019年2月竣工のダイヤゲート池袋。下部を西武池袋線が走っている、つまり人口地盤の上にビルが作られている。外殻構造による無柱空間の創出を含め、建築としておもしろい。)    いくつかの地方の民族関係はとても正常ではない。この情形は、共産党人として言えば耐え難い(不能容忍的)。我々の党内の本当に多くの党員や幹部の中に根深く存在している(存在着的嚴重的)大漢

劉少奇「民族区域自治問題」(憲法草案報告)1954年9月15日

憲法草案報告について(關於中華人民共和國憲法草案的報告)(1954年9月15日)《劉少奇選集下卷》人民出版社1985年pp.132-173,esp.162-167 p.162  憲法草案の序言と多くの条文は国内各民族間の平等友愛互助の関係を規定し、各少数民族の自治権利を保障した。  中華人民共和国成立以来、すでに民族圧迫制度は廃除され、国内各民族平等友愛互助の新関係が建設され、各少数民族地区の政治、経済と文化の事業は次第に発展を始めており、人民生活も次第に改善し始めている。

劉少奇「少数民族問題」(八大政治報告)1956年9月14日

中国共産党第八回全国代表大会での政治報告(在中國共產黨第八次全國代表大會上的政治報告)(1956年9月15日)《劉少奇選集下卷》人民出版社1985年pp.202-276, esp.250-253 p.250 少数民族問題を正確に処理することは、我々の国家工作の中の重大な任務の一項目である。我々は各少数民族の経済と文化における進歩を支援するさらに大きな努力をせねばならず、各少数民族をしてわが国社会主義建設事業で積極作用を十分に発揮させねばならない。  少数民族の状況は過去数年

少数民族問題 李維漢 大漢族主義再批判 1957

李維漢《關於建立僮族自治區問題的一些看法和意見》(1957年3月)載《統一戰綫問題與民族問題》中共黨史出版社(2014年7月 1982年版を大幅に増補したもの)pp.605-621, esp.610  後段に沙文主義chauvinisimがでてくる。日本では最近、この言葉を使わないように感じた。なお写真は地下鉄飯田橋駅の換気塔、アート作品として設計されている。 p.610  (六)  大漢族主義と地方民族主義の問題への批判を再度述べることにする。大漢族主義が存在しており、目