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毛沢東(1893-1976)

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写真は徐州から南京に向かう毛沢東 1957年3月19日
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2021年6月の記事一覧

陳独秀と不断革命論 1930-42

 林致良他編《陳独秀晩年著作選》天地2012年を使って、陳独秀(チェン・ドウシウ  1879-1942)の民主主義に対する考え方の変化を確認したい。仮説として考えられるのは、トロッキー(Leon Trotsky 1879-1940)の「不断革命論(日本語は永続革命論あるいは永久革命論 permanent revolution)」の影響、そしてその変化である。その場合、当初は、民主主義の徹底はあくまで社会主義を実現するための戦略であって、その先に連続して社会主義革命を目指すとい

董時進の土改上申書(1949)

 以下は董時進(トン・スウチン 1900-1984)が1949年12月に毛沢東にあてて出した上申書全文とその解題の翻訳である(「1950年、董時進上毛主席書」『文学城』2016年11月3日の翻訳)。この上申書は『炎黄春秋』2011年第四期に掲載され広く知られるようになった。その内容は、土地改革の停止を情理を尽くして求めるものであるが、歴史の歯車を止めることはできなかった。現在、董時進に関する学術論文は何本か出ているが、それらはこの上申書自体への言及を避けているように見える。な

張聞天 廬山会議補充発言1959年7月24日

 以下は張聞天の《在廬山會議上的補充發言  1959年7月24日》載《張聞天文集四》中共黨史出版社2012年修訂版231の翻訳である。廬山会議で、彭徳懐の意見書が公開され、それに同調した張聞天などを毛沢東は、追いつめる態度をとった(7月23日)。これに対して張聞天は1959年7月24日補充発言を行い、民主の風気の重要性を訴えた。会議に生じた異常な緊張状態ー張聞天たちが孤立した情況をこの発言はよく示唆しているように思われる(写真は水道橋から神田川を望む 2021年6月25日)。