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毛沢東(1893-1976)

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写真は徐州から南京に向かう毛沢東 1957年3月19日
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2021年3月の記事一覧

毛沢東「漢族と少数民族の関係」(十大関係論)1956年4月25日

 毛沢東「十大関係論(論十大關係)」(1956年4月25日)より《毛澤東文集第七卷》人民出版社1999年pp.23-49,esp.33-34 p.33   六 漢族と少数民族の関係    漢族と少数民族の関係について、我々の政策はある程度穏健妥当であり、またある程度少数民族の賛成を得ているものである。我々は大漢族主義反対を強調(着重)する。地方民族主義にも反対するが、そのことは一般的には重点ではない。  我が国の少数民族の人数は少ないが、占有している区画(地方)は大きい。人

張国燾の離反離党 1938年4月

 張國燾は中国共産党の大幹部の一人だったが、1938年4月、つまり1937年七七(盧溝橋)事変後間もないという微妙なタイミングで、国民党特務により保護され共産党を離党している。ここで資料として使ったのは以下だが、この本には残念ながら、張國燾自身のなぜ党を離れたかという彼自身の主張はあまり詳しく書かれていない。むしろ本書は張國燾には批判的な立場で、つまり共産党寄りの立場で書かれている。それでも見えてくるのは張國燾が、このとき全力で党を離れようとしたことだ。そこには、共産党の非情