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毛沢東(1893-1976)

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写真は徐州から南京に向かう毛沢東 1957年3月19日
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2021年2月の記事一覧

中共八大(1956)について

 1956年9月15日から9月27日まで開かれた中共第八次全国代表大会は正しい方針を定めたが、それが翌年以降、反右派闘争が拡大するなか、堅持されなかったことが、1950年代末からの大飢饉、1960年代半ばの「文化大革命」の混乱を招いた、との指摘がある。出席1021名。欠席は5名。ここでは邵琂『中共八大紀事』中共党史出版社2016年から2本の論文を検討する。すなわち以下である。  李捷『毛澤東與中共八大』(摘自《縱橫》1996年第7期)前掲書pp.42-53(この李捷の文章は、

外交政策をめぐる毛沢東と張聞天 1959

  張聞天(1900-1976)は毛沢東の前の中国共産党総書記(1935-1943)。第二次大戦後、新中国でソ連大使(1951-1954)を務めたほか、各種国際会議に中国代表として出席。1955年1月からは外交部常務副部長。しかし廬山会議(1959)で、毛沢東の経済政策を批判したことで失脚し、文革でも激しい攻撃を受けた。逝去後の1979年に名誉回復された。毛沢東から批判を受けた論点として、外交政策をめぐる問題がある。これを論じた本として以下がある。     蕭揚《張聞天與中國