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鄧小平(1904-1997)

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#毛沢東

天は大きな任務を与える人にまず苦しみを与える(孟子)陸鏗《胡耀邦訪問記》1985/06

 「胡耀邦訪問記」は1985年6月1日(雑誌)『百姓』に掲載発表され、(この)文章は当時海内外、国際外交を震撼させた。政治界では中共領袖が示した前例のないオープンな姿に極めて高い関心が集まった。しかし(この記事)での言動は胡耀邦の失脚を招く一因になったことも知られている。採録時間は1985年5月10日午後3時半から5時半。場所は北京中南海で、画期的なインタビューを実現したのは、『百姓』半月刊社長、ニューヨーク『華語快報』発行人の陸鏗である。訪問記は長大である。全文は以下を参照

胡喬木 中國爲什麽犯20年的“左”傾錯誤 1992/05

胡喬木(1912-1992)は延安時代に毛沢東の政治秘書を務めた人物。1978年に中国社会科学院院長。この論文は1989年3月から4月米国訪問時の学術講演に手を加えたものである。書誌事項は以下のとおり。 胡喬木《中國爲什麽犯20年的”左“傾的錯誤》載《中共黨史研究》1992年第5期pp.1-4 保守派の代表のように言及される人だが、ここで述べられている分析はバランスがとれており、納得できる点が多い。六四事件の直前、アメリカでの学術講演の内容という点も注目。胡喬木は1992年に

李鋭 改革開放を回顧する 2008

《對改革開放的一種回顧》載《李銳新政見 何時憲政大開張》天地圖書有限公司2009年82-85 2008年8月8日上午,在李銳家,王建勛記錄,整理。 p.82 今年は改革開放三十周年である。(30年前の 訳者補語)当時を回顧すると、自然と鄧小平、陳雲、胡耀邦、胡耀邦に趙紫陽の4人の行為を注目することになる(自然離不開四個人的作爲)、というのも改革開放の成否は、彼らの緊密な連携にかかっていたからである。そのなかのキーパーソンは鄧大人である。  鄧小平は林彪と同様に、歴史的に