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馬寅初,陳雲,薄一波

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馬寅初(1882-1982)を中心。陳雲(1905-1995)、薄一波(1908-2007)も扱う。
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2021年8月の記事一覧

陳雲のロシア留学 1935-1936

 陳雲(チェン・ユン 1905-1995)が1935年にロシアに向けて旅立った話は良く知られている。35年8月5日、上海から海路ウラジオストックに向かい、シベリヤ鉄道でモスクワに着いたのは8月20日(このロシア旅行の経緯は福光寛「鳥籠理論そして陳雲」『成城大学経済研究』第214号2016年12月37-42,esp.52を見よ)。そして翌年12月8日にはモスクワを離れて国境に向かった。モスクワ滞在は1年余り。なお今回資料として一部を訳出する劉芳啓《陳雲的蘇聯情緣》は朱佳木主編《

馬寅初-單槍匹馬 戰死爲止 1957-1960

   馬寅初について調べていた時に出会った梁中堂論文は衝撃的だった(梁中堂《馬寅初事件始末》中共山西省委党校学報 第34巻第5期 2011年11月 48-77)。関連論文などを広範に調査したうえで、著者は馬寅初の人口論が論争の中核であったという通説を否定して、そこに現れた経済理論、哲学思想、政治的立場が論争の焦点であったとしたほか、またこの論争に、康生、陳伯達など党中央は無関係だったとした。また退職に至る要因として秘書による、馬寅初の個人財産や日頃の言動の暴露が与えた衝撃が大