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馬寅初,陳雲,薄一波

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馬寅初(1882-1982)を中心。陳雲(1905-1995)、薄一波(1908-2007)も扱う。
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2021年3月の記事一覧

1915-1920年の馬寅初 北京から上海へ

 馬寅初が米コロンビア大学で、論文The Finances of New York City で哲学博士の学位を得たのは1914年6月。彼は1882年6月生まれなので、そのときちょうど満32歳である。その後、彼は1914年12月に米国を離れ1915年初めに上海に到達している。今回はとりあえず、北京で北京大学に職を得てから1919年五四運動で不眠症となりダウン。1920年に休職して、上海で元気を取り戻すところまでをみる。  徐斌 馬大成編著《馬寅初年譜長編》商務印書館2012年

1921年の馬寅初 上海滞在から北京へ

 馬寅初は1920年7月、北京大学に申請して1年の予定で上海に滞在。以下の年譜による講演記録から判断するに、1921年11月には北京に戻っている。しかし明らかに上海滞在を契機に、馬寅初の講演活動は劇的に活発化。彼はその言動が社会的に注目される存在に変化したのではないだろうか。また1921年10月の上海暨南学校師範科で講演「自由平等と中国の経済」で馬寅初は、自由平等の三要件(法律平等、機会平等、機会平等)を上げ、それを満たさないのは奴隷国家だといっている。馬寅初は自由主義者だっ