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馬寅初,陳雲,薄一波

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馬寅初(1882-1982)を中心。陳雲(1905-1995)、薄一波(1908-2007)も扱う。
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2020年4月の記事一覧

陳雲 四人組粉砕後の大事 1977/03/13

這是陳雲同志在中央工作會議上書面發言的摘言。《陳雲文選第三卷》人民出版社1995年pp.230-231 四人組反革命集団を粉砕したことは、我々の党の偉大な勝利であり、中国革命にとって偉大な歴史意義をもっている。  私の天安門事件に対する見方は(1)当時絶対多数の大衆(群衆)は周総理を悼むために(集まった)。(2)特にその関心は周恩来同志逝去後、党の後継者が誰かにあった。(3)大衆に混じった悪い人(壞人)はごく少数であった。(4)四人組が干渉したか(是否插手)奸計を企ん

陳雲 経済建設上の二つの問題 1979/06

這是陳雲同志寫給李先念,姚依林同志的一封信。1979年6月17日。《陳雲文選第三卷》人民出版社1995年,p.263 二つの問題があり、我々は前もって(儘早)注意しなければならない。 (1)全国各地の水資源情況。農業は水がいるし、工業は水がいるし、人民の生活には水がいる。一部の地区では、水資源はすでにとても逼迫(緊張)している。天津、北京などの地におけるように。今後工場の建設では必ず必要水量に注意すべきである。ある種の工場は鉱物資源の関係で当地で開業するしかなく、(また)

陳雲 文革処理に関する意見 1981/11

這是陳雲同志對林彪,江青兩個反革命集團案件問題處理問題的一次談話。1981年11月19日。《陳雲文選第三卷》人民出版社1995, p.304 1966年に開始された「文化大革命」は内乱であった。しかし政治闘争であった。特定の歴史条件の下での政治闘争であった。この政治闘争は何人かの陰謀野心家により利用された。この政治闘争では、多くの幹部、党員、非党人が被害を受けた。しかし「文化大革命」は全体として言えば(從全局來説)結局政治闘争であった。それゆえに、何人かの陰謀野心家に対する

陳雲 経済計画を主とすることの堅持を求める  1982/01/25

這是陳雲同志同國家計劃委員會負責同志座談會時的講話。1982年1月25日。《陳雲文選第三卷》人民出版社1995年, pp.309-311  1年の計は春にあり。私は今日話すのは計画経済を主として市場調節を補とすることをいかに堅持するかという問題である。私は省、自治区、直轄市党委員会第一書記座談会で既に一度話している。農業が生産責任制を始めたが、なお上で述べた原則を守る必要がある。例えば郊外区は野菜を育て、養っている豚を出荷する計画が必要であり、煙草の葉の畝数は増やすことがで

陳雲《鳥籠理論》1982/12/02

這是陳雲同志出席第五屆全國人民代表大會第五次會議的上海代表團部分代表座談時講話的要點。《陳雲文選 第三卷 第二版》人民出版社1995年,pp.318-320 鳥籠理論と陳雲について 党の十二大(1982年9月1日から11日 北京で開催 福光注記)は、今後20年不断に経済効益を高める前提のもと、全国の工農業の年総生産価値を全力で頑張って4倍にすると提起した(不変価格表示の国内生産総価値指数で見る。1978年を基準としてそれが4倍になったのは1993年である。19

陳雲「当面の経済工作」1988/10/08

這是陳雲同志同中央負責同志談話的要點。《陳雲文選 第三卷 第二版》人民出版社1995年,pp.365-367 (中央負責同志とは趙紫陽のことだと矢吹さんは指摘している。ー1988年11月には、陳雲(中央顧問委員会主任)が趙紫陽を呼びつけて、「八ケ条の意見」を説いた。矢吹晋『鄧小平』講談社学術文庫2003年p.150. 保守派は経済改革によってもたらされたインフレ、所得格差の拡大が中国社会主義の成果を食いつぶすと危機感をつよめた。同前p.149.) 我々社会主義国家

陳雲 動乱に反対する 1989/05 1990/05

第一部分是陳雲同志在中共中央顧問委員會常務委員會議上的講話要點。第二部分是陳雲同志寫給中顧委各同志一封信的節錄。《陳雲文選第三卷》人民出版社1995年pp.368-369  陳雲に関するファイル  陳雲について(福光論文) 鳥籠理論(福光) (1989年5月26日)  動乱に反対する問題に関して、私は2点意見を述べたい。  第一に現在は、大事な(關鍵)時期(時刻)であり、後退はできない。もし後退すれば、2000万の革命烈士の命と引き換えに得た社会主義の中華人民共和国は、資本