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#イチョウ

赤坂氷川神社の大イチョウ

 説明板によると樹齢は約450年。幹回り7.5m。享保15年1720年に氷川神社の社殿が、改めてここに建築される前から存在した樹で、二次大戦の空襲による焼損の跡を確認できる。港区天然記念物。  この説明から、昭和20年1945年の空襲の火の手は、この神社にも及んだこと。創建時の社殿が現在残っているのは、境内の緑によって守られたからだということが分かる。またこのイチョウは、社殿建設前にこの地にあった三次浅野家の屋敷の庭にあったものとも考えられる。  なお境内にはもう1本大イチョ

赤坂日枝神社男坂の大イチョウ

 日枝神社そのものは昭和20年1945年5月の東京大空襲で社殿のほとんどを失った。なおごく一部の樹木は奇跡的に焼失を免れた。石段を下りて左手にある背の高い銀杏はその一本である。高さは20m以上はあると思われる。  千代田区内の戦争 この資料によれば、山王社の被災は1945年の5月25日の空襲によるもので山王社の地域は焼失地域になっている。pp.6-7  山王鳥居 日枝神社の鳥居の形は山王鳥居といい、日枝神社が神物習合の山王信仰を示す日吉神社の系統に属することを示している。より

浅草寺のイチョウ

 治承4年1180年、後白河天皇の第三皇子である以仁王(もちひとおう)はかねて平氏に恨みがあり、源頼政の進言に従い、平氏討伐の令旨(りょうじ)を出した。鎌倉にいた源頼朝は迷ったものの挙兵するが、小田原の戦いで大敗。一旦、房総に逃れ、再度軍備を整えて江戸川を渡り進軍する。そのとき、浅草寺(せんそうじ)に参内し戦勝を祈願した。その際に頼朝が植えた苗が育ったとの伝承がある。この伝承に従えば、樹齢800年あまりの古木になる。こうした戦勝祈願の由来をもつものとして「馬場大門のケヤキ並木

芝東照宮のイチョウ

 都内の東照宮として、上野とともに芝の東照宮が知られる。そこに「芝東照宮のイチョウ」として知られる木がある。ただこのエリアは樹が多く、大木も多い。見出しは東側から見た遠景。大木ではあるが、緑陰の多い芝界隈で目立っていると言えるかどうか。ただこのイチョウは、寛永18年1641年に徳川家光が植えたとの伝承があり、樹齢がはっきり分かる点で貴重である。根本が8.3m、目通りが6.5m、高さ21.5mとされ(1993年の計測)、伝承から計算できる樹齢は400年弱である。東京都の指定天然

光福寺の大イチョウ

 光福寺は品川区大井にある浄土真宗の寺院。そこに麻布善福寺の大イチョウとならぶ大イチョウがあることは知っていたが、今回初めて訪問できた。  幹周7.2m、高さ40mの堂々たる巨木である。品川区の指定天然記念物だが、推定樹齢800年は、国の天然記念物である麻布善福寺の大イチョウに並ぶもの。東西方向から見ると円錐形の綺麗な形をしている。南北方向からみると主幹は2本の大きな枝に分かれていることがわかる。  光福寺には、親鸞(1173-1263)の高弟である了海上人(1239-131

王子神社のイチョウ

 JR王子駅北口から音無親水公園に向かいそこを進むと、ほどなく右手に上がる坂道が現れる。右手上を仰ぎ見ると、それらしいイチョウが見える。これが王子神社のイチョウである。幹回り5.2m、高さ24.2mとされる。樹齢700年余りと推定されている。都の指定天然記念物。  説明板によると、元亨年間(1321-24)に豊島氏が王子神社をここに熊野より勧請した(勧請したものは熊野権現である、言い換えると熊野三山の神々、とくには若一王子:にゃくいちおうじ、天照大神のこととされる)ころからの

葛飾八幡宮の千本公孫樹

 樹齢1200年と伝えられるイチョウ(公孫樹)の古木である。なんといっても多くの幹が合わさったような根本の部分に特徴がある。落雷により落ちた枝が成長したことによるものというが、境内には同様に根本に多数の幹をもつイチョウがあり、この特徴には別の説明が必要かもしれない。根回り10.2m、目通り(人間の目の高さ)10.8m、樹高20m。昭和6年1931年に国の天然記念物の指定をうけている。幸い境内が広いので、このイチョウは様々な角度でとえることができる。 葛飾八幡宮は寛平年

壱岐坂通りのイチョウ並木

 白山通り(都道301号線)の壱岐坂下から、本郷通り(国道17号線)の壱岐坂上を結ぶのが「壱岐坂通り」(特別区道890号線)。なお、壱岐坂を降りてドームの脇を走るのは都道434号線。後楽園駅から右折して千川通り(都道436号線)に入ることができる。  現在、壱岐坂通りは区道になっているが、とても美しいイチョウ並木になっている。美しく感じる理由は、おそらく並木の密度がそろっているから。坂の途中には東洋学園大学の校舎があり、良い目印になっている。ただ坂の途中に休めるような、これと

善福寺の大イチョウ

 元麻布にある善福寺の大イチョウである。善福寺は米国の初代公使タウンゼント・ハリス(1804-1878)が安政6年1859年に公使館を置いた場所として知られる。境内には、その記念碑が置かれている。今一つ知られるのは福澤諭吉(1835-1901)の墓所である点だが、福澤の墓は元は上大崎の常光寺にあったものを昭和52年1977年にこちらに移したとされる(墓を移すに際し掘り起こしたところ、福澤がほぼそのままの姿であらわれたという。鵜飼秀徳「福澤諭吉は地下4mの地底で着物を着て寝てい

本郷通りのイチョウ並木

 本郷通り(国道17号線と重なる湯島聖堂から東大農学部正門前まで。第一次緊急輸送道路。)のイチョウ並木はすばらしい。ただし東京大学近くの鬱蒼と茂った緑は大学構内の緑と街路樹の緑が重なったことによる風景である。通り沿いのイチョウ自身はなお10数メートルの高さ。これに対して構内の緑は場所によってはその倍の威容である。そのため、本郷通りの東大側の緑は圧倒的で見ごたえがある。 イチョウ並木の範囲については、「文京区みどりの基本計画」令和2年2020年3月中の「みどりの現状分析」

白山通りのイチョウ並木と緑道

 白山通り(都道301号線 第二次緊急輸送道路)のイチョウ並木(ここでは春日から千石にかけてをイメージしている なお春日から水道橋にかけてはプラタナスがほとんどのように見える)は、ほかのところのイチョウ並木と条件が違っているかもしれない。それは、この区間の白山通りがとても余裕があること。両側にそれぞれ三車線と自転車専用通行帯がある。中央分離帯にも植栽がある。歩道幅もおそらく4m以上あるだろう。  イチョウは成長すると、高さ20-30m、幹回り2m程度になる。イチョウがそのよう

東富坂のイチョウ並木と緑道

 真砂坂ともいうが、冨坂の反対側(東側)なので、東富坂という呼び方が分かりやすい。ここは真砂坂上までかなりの傾斜だが、形の良いイチョウ並木が続く(国道254号線、春日通りである)。またここは坂に沿って少し楽しい店舗が並ぶと、素晴らしい一角になるのだけど、残念ながら坂の途中の楽しみは今一つ。急な坂をただただ上るしかない。なので東冨坂の登りはつらく緑陰を楽しむ余裕はない。坂でもたどり着きたい店舗でもあれば激変するのだが。しかし下りとしてみると見事な緑の坂の一本道であり素晴らしい。