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趙紫陽(1919-2005)

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#六四事件

企業制度改革 1980-1988

 鄧小平―趙紫陽が経済政策の責任者であったときに、行われた経済政策をここでは3つの側面に分けてみる。一つは私有経済の容認・拡大である。もう一つは国有企業の経営改革であり、最後に価格改革である。以下は李羅力《沉重的輝煌  告訴你一個真實的改革開放》中國財政經濟出版社2009年第4章pp.83-88、私有経済の再生のところをまとめたものである。なお価格改革については別稿で述べる。  私有経済再生は、農業から始まった。改革開放後、農業における自留地、自由市場、請負責任制(包产到户

胡耀邦の失脚と趙紫陽

                            福光 寛  胡耀邦の失脚は1987年1月に生じた。これに趙紫陽がどうかかわっていたかについては議論がある。  1980年から続いた胡耀邦を総書記、趙紫陽を国務院総理とする体制は1987年に入って開かれた中央政治局が開催した民主生活会なる会合(1月10日から15日)で胡耀邦批判が噴出したことで終焉を迎えた(直接的には1986年末に全国各地で起きた学生運動の責任問題。胡耀邦が資産階級自由化に反対するという旗幟が不鮮明であった

朱嘉明先生訪談録:1988-1989

朱嘉明『中国改革的岐路』聯經2013年1月pp.44-46, 48-50 ここでは1988年の価格闖關(訳注 価格自由化の加速全面化)政策の採用から1989年の六四事件の評価までを採録する。ここで繰り返しでてくるのは、吴敬璉への非難である。一般的には呉敬璉は自由化政策の旗を掲げ続けている人物とされるが、他方で趙紫陽の「価格闖關」政策への攻撃を執拗に続けていることでも知られている。しかし少し調べるとわかるのは、この政策は鄧小平が推し進めたものだ。であれば鄧小平の責任も追及するべ

陳雲 動乱に反対する 1989/05 1990/05

第一部分是陳雲同志在中共中央顧問委員會常務委員會議上的講話要點。第二部分是陳雲同志寫給中顧委各同志一封信的節錄。《陳雲文選第三卷》人民出版社1995年pp.368-369  陳雲に関するファイル  陳雲について(福光論文) 鳥籠理論(福光) (1989年5月26日)  動乱に反対する問題に関して、私は2点意見を述べたい。  第一に現在は、大事な(關鍵)時期(時刻)であり、後退はできない。もし後退すれば、2000万の革命烈士の命と引き換えに得た社会主義の中華人民共和国は、資本