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趙紫陽(1919-2005)

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2020年4月の記事一覧

企業制度改革 1980-1988

 鄧小平―趙紫陽が経済政策の責任者であったときに、行われた経済政策をここでは3つの側面に分けてみる。一つは私有経済の容認・拡大である。もう一つは国有企業の経営改革であり、最後に価格改革である。以下は李羅力《沉重的輝煌  告訴你一個真實的改革開放》中國財政經濟出版社2009年第4章pp.83-88、私有経済の再生のところをまとめたものである。なお価格改革については別稿で述べる。  私有経済再生は、農業から始まった。改革開放後、農業における自留地、自由市場、請負責任制(包产到户

陳雲 経済計画を主とすることの堅持を求める  1982/01/25

這是陳雲同志同國家計劃委員會負責同志座談會時的講話。1982年1月25日。《陳雲文選第三卷》人民出版社1995年, pp.309-311  1年の計は春にあり。私は今日話すのは計画経済を主として市場調節を補とすることをいかに堅持するかという問題である。私は省、自治区、直轄市党委員会第一書記座談会で既に一度話している。農業が生産責任制を始めたが、なお上で述べた原則を守る必要がある。例えば郊外区は野菜を育て、養っている豚を出荷する計画が必要であり、煙草の葉の畝数は増やすことがで

陳雲《鳥籠理論》1982/12/02

這是陳雲同志出席第五屆全國人民代表大會第五次會議的上海代表團部分代表座談時講話的要點。《陳雲文選 第三卷  第二版》人民出版社1995年,pp.318-320   鳥籠理論と陳雲について     党の十二大(1982年9月1日から11日 北京で開催 福光注記)は、今後20年不断に経済効益を高める前提のもと、全国の工農業の年総生産価値を全力で頑張って4倍にすると提起した(不変価格表示の国内生産総価値指数で見る。1978年を基準としてそれが4倍になったのは1993年である。19

双軌制導入から闖關まで 1984-1988

 標記について利羅力《沉重的輝煌 告訴你一個真實的改革開放》中國財政經濟出版社2009年第八章pp.182-213はかなり詳細に記述している。まずこの本の記述からこの問題の経緯をまとめてみる。     価格双軌制は1984年9月に浙江省徳清県の莫干山で開かれた全国中青年経済科学工作者討論会で支持された考え方。この会議の中心人物である王岐山は中央農村政研室所属。このほか参加者には政府の重要部門で働いている人が少なくなかった。  会議では3つの主張が出された。一つは国務院価格研

鄧小平 企業改革と金融改革 1986/12/19

這是鄧小平同志聽取幾位中央負責同志匯報當前經濟情況和明年改革設想是的談話要點。《鄧小平文選 第三卷》人民出版社1993年,pp.192-193(写真は播磨坂にて)    我々の改革は一体何歩歩かねばならないのか。どれだけの時間で完成するのか。皆さんには研究してほしい。  長期的に見て糧食問題はとても重要で、改革により農業発展が遅い問題(農業發展後勁問題)を解決する必要がある。企業改革は主としては国営大中型企業活性化(搞活)問題の解決である。  さまざまな形式を用いて所有権と

鄧小平 十三大に向けて 1987/08/29

這是鄧小平同志會見意大利共產儻領導人約帶和贊蓋裏時談話的一部分。1987年8月29日。《鄧小平文選第三卷》人民出版社1993,pp.251-252  わが国の経済発展を三歩の歩みに例えると、本世紀は二歩歩み、衣食が足りた中等生活(溫飽和小康)に至り、次の世紀の三十年を用いて(併せて)50年間でもう一歩歩むことで、中等発達国家の水準に達する。これは我々の戦略目標であり、遠大な理想(雄心壯志)である。我々の遠大な理想を実現するには、改革しないのは駄目だ。開放しないのも駄目だ。我

鄧小平 物価改革の実施 1988/05/19

 這是鄧小平同志會見由朝鮮人民武裝力量部部長吳振宇率領的朝鮮政府軍事代表團時談話的一部分。1988年5月19日。《鄧小平文選第三卷》人民出版社1993,pp.262-263   我々の党の十三回大会と全国人大七届一次会議は、いずれもその精神は今一歩思想を解放し、今一歩生産力を解放するというものである。  物価が正される(理順物價)ことで、改革は足並みを早めることができる。物価問題は歴史の経緯がもたらしたものだ(歷史遺留下來的)。過去、物価はみな国家が決めていた。例えば食糧(

陳雲「当面の経済工作」1988/10/08

這是陳雲同志同中央負責同志談話的要點。《陳雲文選 第三卷  第二版》人民出版社1995年,pp.365-367  (中央負責同志とは趙紫陽のことだと矢吹さんは指摘している。ー1988年11月には、陳雲(中央顧問委員会主任)が趙紫陽を呼びつけて、「八ケ条の意見」を説いた。矢吹晋『鄧小平』講談社学術文庫2003年p.150.  保守派は経済改革によってもたらされたインフレ、所得格差の拡大が中国社会主義の成果を食いつぶすと危機感をつよめた。同前p.149.)   我々社会主義国家

鄧小平 騒乱を許さない 1989/03/04

這是鄧小平同志同中央負責同志的談話。1989年3月4日。《鄧小平文選第三卷》人民出版社1993, pp.286-287  我々は四つの現代化を進め、改革開放を進めているが、その鍵は安定である。私はブッシュと会談したが、ともかく安定が必要である。なんであれ安定を脅かすものにはすぐに対応(對付)が必要であり、譲ることはできず、後伸ばし(遷)もできない。外国人の議論を恐れる必要はない、彼らの議論は彼らに任せることだ。ただ我々が保守的だ(不開明)と罵っているだけのことだ。長年我々は

陳雲 動乱に反対する 1989/05 1990/05

第一部分是陳雲同志在中共中央顧問委員會常務委員會議上的講話要點。第二部分是陳雲同志寫給中顧委各同志一封信的節錄。《陳雲文選第三卷》人民出版社1995年pp.368-369  陳雲に関するファイル  陳雲について(福光論文) 鳥籠理論(福光) (1989年5月26日)  動乱に反対する問題に関して、私は2点意見を述べたい。  第一に現在は、大事な(關鍵)時期(時刻)であり、後退はできない。もし後退すれば、2000万の革命烈士の命と引き換えに得た社会主義の中華人民共和国は、資本