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趙紫陽(1919-2005)

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2019年9月の記事一覧

趙紫陽 マルクスの限界 1993/04/03

宗鳳鳴《趙紫陽軟禁中的談話》開放出版社,2007年,85 1993年4月3日 趙紫陽は言う。「マルクスは19世紀に生活して、資本主義生産の社会化と私有制(私人佔)とを資本主義社会の基本矛盾だと認識して、資本主義の発展とともに(社会の)両極分化が激しくなり資本主義の晩鐘が鳴らされるとした。しかし20世紀の事実は、資本主義社会では物質製品の欠乏は全く生じないどころか、物質製品は極端に豊富だったこと。また労働者階級が日増しに貧困化したり絶対貧困化することがなかったばかりか、人民の生

趙紫陽 資本主義過程の必要性 1993/04/28

宗鳳鳴《趙紫陽軟禁中的談話》開放出版社,2007年,86-87 1993年4月28日 趙紫陽は言う:国有企業の改造について、公有制を選択して主体とする株式制では問題は解決に至らない。というのもすべて公有制では過去と大差ないからだ、自身に損益を負わせるだけでは解決にならず、ただ国有企業の経営メカニズムの転換をしても同様に解決に役立たない。これはかならず所有制問題の解決を必要としていたと。趙紫陽は国有民営方式、リース方式更に中外合資方式を検討し、国有資産の価値を増やすことを

趙紫陽 資本主義を発展させよ 1993/07/01

宗鳳鳴《趙紫陽軟禁中的談話》開放出版社,2007年,104-106 1993年7月1日 趙紫陽は言った。「社会主義の現行制度と社会主義道路(社会主義への歩み方の意味か)との間には、区別(区分)があっていい。過去には先験的公式が作ったミイラ化した制度によったのであり、とくに公有制だが、実行したところは、公有化の程度が生産力の水準を超えており、生産力は極大まで破壊されることになり、貧困が作り出された。(そして)我々を社会主義からますます遠ざけてしまった。これはつまり社会主義

趙紫陽 民主政治は必ず始まる 1993/12/14

宗鳳鳴《趙紫陽軟禁中的談話》開放出版社,2007年,120-121 1993年12月14日 趙紫陽(チャオ・ツーヤン 1919-2005)は考える。「中国で過去、マルクスレーニン主義を導入(引進)したのは必ずしも社会主義を実現するためではない。「中華復興」「国家民族の危機を救う(救亡圖存)」のためだった。のちにソ連のこの高度集中体制を導入したのは、まず重工業の発展に力を集中し、軍事工業をおこすためで、富国強民のためであり、社会主義を実現するためではなかった。毛主席が中

趙紫陽 資本主義と民主議会  2000/05/13

宗鳳鳴《趙紫陽軟禁中的談話》開放出版社,2007年,303-304,esp,304-308 2000年5月13日 趙紫陽は言った「問題は資本主義には一種の内在的自己調節メカニズムがあり、自身とまることなく、不断に更新、発展、変化しているのに、社会主義はその体制がミイラ化し停滞してしまったことにある。たとえば自由資本主義時期には、つまりアダム・スミスの自由放任理論の指導のもとでは、資本主義生産の無政府状態は資本主義を周期的に経済危機を発生させ、工場の閉鎖、労働者の失業を招いて

趙紫陽 民主の発揚と創見性 2000/08/06

杜導正《杜導正日記 趙紫陽還説過什麽》天地,2010,pp.162-164,esp.164 2000年8月6日(日曜日)・・・ 趙紫陽「中国は反封建をしなければならないし、政治改革をしなければならない。一つの民主政治国家を建設せねばならない。この目標について、多くの人の見方は同一であって、分岐はない。問題は如何にこの目標に到達するか。こちらからあちらへ、この道をいかに歩むか。」 「この道を歩まないわけにはゆかない。(すでに)台湾は歩んだ。そしてかなり成功した。韓国も歩んだ

趙紫陽 徹底的反封建主義 2000/07/02

杜導正《杜導正日記 趙紫陽還説過什麽?》天地,2010,pp.160-161 2000年7月2日(日曜日)  昨日、北京はとても暑く、全市は39度、天安門広場の地面は56度に達した。今日はなお高温で全市は36度だというが、実際はもっと高くなっている。  錫華、舒元璋(シュー・ユアンチャン)が洪達の家の前で集まり、それから蕭洪達と一緒に趙家に行った。趙の入り口には武装警察が2団おり、入るとき、警衛はわれわれに身分証をかれらに預けるように要求し、蕭、舒ともに差し出した。  趙