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”大ベルセルク展”に行った話

『ベルセルク』という漫画には、中学生の頃に出会った。

知らない人の為にものすごく簡単に紹介すると、
「剣って呼べないくらいデカい剣を振り回す男が化け物と戦ったり、ものすごい美男子が自分の国を手に入れる為に成り上がったり落ちぶれたり化け物を従えたりする話。そんで魔法とか妖精とか出てくるファンタジー漫画」
と、書いてみて作品の魅力を一切伝えられないことに我ながらショックを受けた。
簡単には伝えられない、けどめっちゃ面白い。
かっこいいも、かわいいも、人間って美しい、汚いも、エロいも、グロいも、どの要素もすごい強さで叩きつけられるような漫画。キャスカは最高のヒロイン。魔女っ娘もいるよ。

漫画の内容の紹介を始めたら、大ベルセルク展に行った話をするまでに1万文字くらい書いてしまいそうなので、それはしない。

個人的な、『ベルセルク』という作品と自分との話をすると、
初めて読んだのは中学生の頃だった。
友達から勧められて読んで、ちょうど蝕のところの単行本が出るか出ないかくらいの時だったので、発売されたばかりの13巻をみんなで回し読みして、中学生らしい性的描写に対する興奮と、とにかく残酷、残虐、絶望的な展開から来る心のザワザワを共有したのを覚えている。

それから高校、大学卒業後も、新刊が出れば買うようにしていた唯一の漫画だったが、39巻を読んだあと、個人的にすごくバタバタしていたので最新の状況を追えずにいた。

8月の終わりごろに、ツイッターで「大ベルセルク展」に関するツイートが流れてきて初めて開催を知り、そのまま即チケットを買った。
普通のチケットと、開催記念品の真紅のベヘリット付チケットがあり、迷うことなく記念品付きを購入。(見せびらかす相手はいないが、グリフィスみたいに「いーだろ?」ってやりたかったから)

チケットを買い、公式サイトを見た時に、5月に三浦建太郎先生が亡くなったという事も知り、ものすごくショックを受けた。

単行本の刊行スパンが開いてしまいがちではあったが、長年追ってきた漫画が未完のまま終わってしまうというのは、とても悲しい。
でも、誰よりも三浦先生自身が無念だとは思う。
謹んで哀悼の意を捧げます。素晴らしい作品を生み出して下さり、ありがとうございました。

大ベルセルク展の開催、参加自体はとても楽しみだし、嬉しいけれど、作者死去という事があり、ただ単純に楽しむのとは少し心持ちが違う。
そんな状態で、参加する予定の日を待っていた。恐らく見に行く人全員が似たような心持ちだったと思う。

参加当日、池袋のサンシャインシティに着いたのは12時半くらいだったと思う。
入場を待つ行列が、僕が並んだ時点で120人強。

前の日に、家の収納にしまっていた単行本を引っ張り出して1巻~22巻くらいを一気に走り読みしておいた甲斐があり、楽しむ為の心の準備はかなり出来ていた。
入場までは1時間くらいかかったけど、受付直前になると入口のガッツの絵(この記事トップにあるアレ)が見えるし、受付ブースの後ろのガッツとグリフィスのタペストリーにもテンション上がった。

入場して、場内のスタッフの人のアナウンスに少し戸惑ったが、

「展示されている原画の撮影はNGだが、立体物(フィギュアなど)は撮影OK」とのこと。
(立体物でも、蝕エリアは撮影NG)

一番最初に有った立体物、壁にかかった「ドラゴンころし」(と、その横の鉄の義手)を撮影しようとして、原画がフレームインしてしまわないように注意する必要があった。
「こいつ、ドラゴンころしを撮影するフリして、原画を撮ろうとしてないか」などとスタッフの方に疑われたら嫌だな、と思いつつ。

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しかし、その後はそんなドギマギを覚えることもなく、前日に読んだ漫画の原画を見ては「ここの絵、こんなタッチなんだ」とか、「吹き出しの中の台詞、印刷した文字を切り貼りしてるんだ」とか、「ここの雪とか朝日、修正液(ホワイトって呼ぶのか?)使ってるんだ」とか、楽しめることだらけ。

何より、『ベルセルク』の最大の魅力はその画力。

「えぢから」とも「がりょく」とも読んでいいが、とにかく描き込みがえげつない。
連載が休載になった時、「何をしていたんですか?」と聞かれた三浦先生が
「ひたすら背景の兵士を描いていました……」と答えた話は伊達じゃない。

単行本のカバーや作中の見開き、大コマなど、何度も読み返して見慣れた筈の絵に改めて引き込まれるというのは不思議な体験だった。

原画の展示は、はじめのナメクジ倒すまでは置いといて、ガッツ誕生から黄金時代~その後の旅と、ストーリーに沿った並び。ほんと、前日に読み直しておいてよかった。

そして原画とは別に、さっき撮影の可否のところでも触れた立体物の数々。

撮影した全部の画像を上げていくと単調でつまらないレビュー記事になってしまうので、特に「かっこいー」となったフィギュアだけ。

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髑髏の騎士。髑髏のおっさん。この人の正体がなんなのか、最終的な答えは示されないままになってしまった。

僕がこのフィギュアの展示ですごいなと思ったのが、キャラ自体の作り込み、完成度もさることながら、足元の場面描写まで緻密なこと。
例えば上の髑髏の騎士も、作中のシーンで、この時どういう敵キャラを相手に無双していたのかが分かる。潰されているトロルの内臓までリアルに造られていて感動した。
他のフィギュアでも、ゾッドに惨殺されているモブ兵士の体の断面とか、ガッツが戦ったでかい化け物の傷口や血の出具合なんかもリアルに、作中の場面がそのまま立体化された形で造られていた。

描く人が変態的な描き込みをするから、立体物をつくる人も、変態的な作り込みをするのだな、と思えば納得できる。やり込みの連鎖。

そんな風に、原画とフィギュアが良い感じに並べられているのを順に眺めて行ってるうちに、だんだん不穏な音声が耳に入るのを感じ、それが段々近づいてくるのもわかった。

ちょうど、作中の順序で「蝕」にあたる箇所で、その「蝕」の空間を再現した「蝕エリア」が一部屋設けられていた。
これに関しては撮影NG、もちろん何も撮ってない。
ゴッドハンドが並んでいる中で、あの異空間の、人の顔が多重的に並んでいる地面、壁が再現されていた。そらただ一言「絶望」ですよあんなもん。

前情報で「蝕エリア」の存在は知っていたので、入場前に長く並んで待っていた時に、
「この、並んで待っている人たち、みんな『蝕』に向かって進んでるんだ。みんな”贄”か”使徒”かどっちかなんだ」と思うと面白かったのを思い出した。

蝕エリアを抜けた後の目玉は、
鍛え直される「ドラゴンころし」の展示と、
クラウドファンディング達成で作れたという、「等身大”不死のゾッド”」の展示だった。

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これの後にあった、
「コミックス1巻の表紙を同じ写真を撮影しよう」
的なスペースもそうだが、フォトスポットになってる箇所は、ぼっち参戦者にはツラいものがあった。

展示の最終エリアには、今回の大ベルセルク展開催に添えて贈られた他の漫画関係者の方々からの色紙の展示があった。
当初、昨年12月開催予定だったのがコロナの影響で延期になったので、展示されている色紙は、昨年12月時点で描かれたものと、今年の5月以降、三浦先生が亡くなった後に描かれたものが混在していた。
そこの内容の差異に配慮してだろう、展示されている色紙は全て、いつ贈られたものなのかの表記があった。

そして、三基のディスプレイで三浦建太郎先生がインタビューに答えている映像が流されていた。
ベルセルクの今後の展開について話されていて、「生きていてくれたら…」と改めて悲しくなった。

そのディスプレイの近くに展示されていた、三浦先生の作業スペース再現エリアも、見ていてすごく、「ああ、モノ作りをする空間だ」と思って胸が熱くなった。

そうして展示を全て見終わって、物販で今年、いやここ数年で一番の散財をかました。
買いたかったグッズの一部は売り切れてしまっていたものの、
「ドラゴンころし抱き枕」や、
「生贄の烙印が浮かび上がる醤油皿」
「ドラゴンころしネクタイピン」など、良い感じにふざけているグッズを買い、
加えて、原画の複製系の商品も購入。これも、欲しかった場面のいくつかは買えなかったが、一番欲しかった「ドルドレイ攻略戦開戦時のガッツ」が買えたので満足。画像5


仕事にしろ何にしろ、毎日、これ見てから出かければ負けないでいられる。

自分が、本当にこの『ベルセルク』という漫画が好きで、この漫画の主人公のように、ガッツのように生きたい、と思っているんだ、ということを、形として自らに示す為にも、この買い物は最高。

今度、引っ越したらきちんと額に入れて飾ろう。

振り返ってこうして文章に起こしてみて、改めて最高の展覧会だったなと思った。絵にしても、立体物にしても、そこに込められた熱量とか、愛情がすごいから、どんなジャンルであれモノ作りをする人は絶対に感動できる空間だった。

未完で終わってしまうにしても、
三浦建太郎という漫画家が、自分の生きていた時間に同時に生きていて、ものすごい漫画作品を生み出していて、自分はそれに励まされて生きてきたんだという事実に感謝しかない。そしてこれからも励まされ続ける。

三浦建太郎先生、そしてこの「大ベルセルク展」を企画、開催、運営されたすべての人に感謝。

『ベルセルク』を読んだことない人にはほとんど意味不明な文章だと思うけど、もう全員読んでくれたらいいと思う。

「生贄の烙印が浮かび上がる醤油皿」は2枚買ったので、誰かうちに遊びにきたら「ニエ……」って言いながら刺身でも食べましょう。



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