淋しさの源泉
独り暮らしとは1人で暮らしていること、ではある。
ペットと暮らしていればそれは独り暮らしとは言わないのだろうか。やはり自分以外の人間と一緒に暮らして初めて独り暮らしではないと言えるのだろう。
そういう意味ではこの年末で独り暮らし丸10年になる。一方、ワンコを飼っていて2年ほど前に逝ってしまった。
ワンコが生きていた頃は独りという感覚が薄かった。なかったとは言わないがワンコが居て一緒にいるとこの子がいる限り自分はしっかり生きてこの子を守らねばと思っていた。(おおげさ!)人間の子を産んだことはもちろん育てたこともない。それでもワンコと一緒にいるとワンコの命を守って面倒を見なければと思っていた。
米の映画俳優のミッキー・ロークは飼い犬をパートナーとして大切に扱い生きがいと言ってはばからないことで有名だ。その気持ちはよく分かる。
ミッキー・ロークと同じかどうかは分からないが側にいるワンコが全面的に自分に頼っているとそこに自分の存在意義を感じていた。大げさかどうか分からないが飼っているワンコは自分がいなければ生きてゆけない。自分がいるからこそ生きていられると思っていた。
しかし、思う。なんと人間は都合の良い生き物だろう。
犬は長い年月をかけて人間に飼い慣らされてきた。言い換えれば、人間によって犬は人間無しでは生きられない動物にされてしまった。
その犬の悲しい習性、特性により自分は飼っていたワンコに頼られた。そのことで自分の存在意義を確認していた。
そう思うとなんとなくやりきれない。
それでもやっぱりワンコと一緒に居た時が懐かしく優しい気持ちになる。そのことも悲しいと言ったら救いはないのだろうか。
こういった気持ちや思い巡らす感情が淋しさの源泉。
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