色とりどりのメシの種【第五話】 #創作大賞2024
金魚鉢に金魚が二匹、まだ仲良く泳いでいる。
去年の縁日であの人と金魚すくいをした。
私は失敗したけれど、あの人は二匹取れた。
「金魚すくい取れたの、俺、初めてだ!」
あの人は大はしゃぎで金魚鉢を買ってきて、毎日、甲斐甲斐しく金魚の世話をしていた。
「そんなに金魚好きなの?」と、私が思わず聞くと、あの人は「だってアケミと取った金魚だし」と言って笑った。
そのくせ今は、私のそばにいない。
私から離れて自分の奥さんのところに戻っていった。
どうしてそんな酷い事が平気でできるの?
私は金魚鉢の真ん中あたりに右手の人差し指を当てた。
金魚鉢の水嵩が減っていき、やがて水がなくなった。
水のない金魚鉢に金魚が二匹、ただそこにいた。
◇
「サトシ君、今回の案件はね、これまでと比べて影響範囲が一番小さいかもしれないけど、君にとってはある意味一番難しいかもしれない」
マツダにしては珍しく、そんなことを言った。
平日の午前中、「急ぎの案件だから」と突然ウチにやってきたのだ。
「そうなんですか。じゃやめておきます」
「いやいやいや、頼むよ。引き受けて欲しいんだ。ただね、ちょっとね」
「何なんですか?はっきり言ってください」
「今日はユイちゃんは?」
「学校に行ってますけど」
「そうか、ちょうどよかった。
今回の案件の相手はね、妙齢の女性なんだよ。サトシ君は女性の扱いは得意?」
「そんなわけないでしょう」
「だよねー。でも、うまくやって欲しいんだよね。サトシ君、かわいい顔してるから大丈夫だと思うんだけど」
「何が大丈夫なのかわからないですけど、案件の内容を教えてください。何をすればいいんですか?」
「ああ、そうか、そうだよね。
その妙齢の女性はね、まあモテる人なんだけど、なぜか奥さんがいる男性ばかり好きになるみたいなんだ。ま、不倫だよね。そうそう長くは続かないから関係が終わっていくのだけど、終わり方がキレイじゃないみたいで。腹いせに別れた男が住むマンションを断水状態にしてしまったらしい。ちょっとその女性と話してさ、断水にするの、やめさせて欲しいんだよ」
「内容はなんとなく分かりました。俺には理解できない世界の話だなと思いましたけど。その女の人、なんで別れた男のマンションを断水させたんですか?」
「さあね。それは彼女に聞いてみないと僕も分からない。それが彼女の能力なんだろうね。だから、今回はこの青い種を使ってくれ」
マツダは青い種が入った小瓶を懐から出してテーブルの上に置いた。
「青い種を食べたら解決できるって何で分かるんですか?」
「あれ?前回言ったよね、僕にはピーンと来るんだよ。水のトラブルはね、青い種を食べとけば大体大丈夫だから。
僕の心配はね、サトシ君が女の人とうまくコミュニケーション取れるかどうかだけ。ま、こういうのは経験だからね。今回の案件を通して、男として一皮むけて欲しい。なんちゃって。ははは」
俺は腹立たしい気持ちになり、マツダの発言を無視することにして黙った。
沈黙に耐えられなくなったのか、マツダが口を開いた。
「じゃここに青い種と断水させちゃってる女の人の住所を書いた紙、置いておくから。やる気になったら連絡もらえる?」
「ひとつ教えてください。断水されて困っているのは不倫してその女の人を捨てた男なんですよね?自業自得じゃないんですか?」
「確かにそうだね。だけど、不倫した男性の奥さんと子供達はどうかな?完全なる被害者じゃないか。
正直、僕も不倫した男のことはどうでもいい。ただ、マンションごと断水させるのはやり過ぎだろ?
不倫した男の巻き添えを喰わされている人達のことを思って引き受けてもらえると助かるよ」
不倫する夫、父を持ったばかりに水のない生活を余儀なくされる妻と子供達。さらには、全く関係がないマンションの住人達。確かに顔も知らない女からそんな目に遭わされるのは理不尽か。
「マツダさん、分かりました。やってみます」
「ありがとう!助かるよ」
勝手に引き受けてユイにまた怒られるかもしれないが、事情を話せば分かってもらえると思った。
◇
私から離れていった男のマンションの貯水槽から水を吸い取ってしまった。金魚鉢の金魚みたいに泳げなくなって倒れてしまえばいい。
「ピンポーン」
来客を知らせるインターフォンが鳴った。
モニターを見ると若い男だった。まだ何も世の中のことを知らないような若い男。いつもは居留守を使うのだけど、出てみる事にした。
「はい」
「こんにちは。ミズサワ アケミさんでしょうか?
私、『何でもヘルプ屋マツダ』のハヤシ サトシと言います。現在、あるマンションで局所的に断水が起きていまして、アケミさんが何かご存知かもしれないという情報をもらったので伺いました。少しお時間いただけるでしょうか?」
どういうこと?
あの人が私のせいだと言ったの?
ひとりの女性にできる事じゃないでしょうに。
ま、私がやったんだけど。
信じる人なんていないから事実にもなり得ない。
いいわ、暇つぶしに話だけ聞いてあげる。
「心当たりはないですけど、少しだけなら」
「ありがとうございます」
玄関のドアを開けると、すらっとした若い男が立っていた。モニター越しに見るよりもずっと若い印象。よく見るとまだ少し幼い、かわいい顔をしている。
「こちらにどうぞ」
来客用の部屋に案内した。
若い男は椅子に腰掛けるなり、淡々と話し始めた。
「では、早速ですが、ミズサワさん」
「アケミでいいわ」
「では、アケミさん。ヤマシタ トシロウさん、ご存知ですよね?」
「ええ。しらばっくれても時間の無駄だし」
「助かります。彼のマンションが断水しちゃったんですよ。何かご存知ではないですか?マンションの貯水槽が空っぽになってたそうなんですけど」
「あら、そう。大変ね、それは」
「あなたがやったんじゃないんですか?」
「私が?どうやって?」
「それを教えて欲しいんですよ。ただ、信じてもらえないかもしれないですけど、俺にはあなたにはそれができると分かっています」
「あはは、面白い子ね。名前、なんて言うんだっけ?」
「ハヤシ サトシです」
「サトシ君ね、ふふふ。じゃあ私がどうやって貯水槽の水を空っぽにしたか、言ってみてよ。当たったら正直に教えてあげる」
「吸い取ったんじゃないですか?自分の身体に」
「な、なんで分かるのよ」
「俺も同じことができるから、かな」
「本当に面白い子。で、どうする気?」
「貯水槽の水を返してもらいます」
「ふふふ、どうやって?」
「そうですね、どこから吸い取るのがいいんだろうって思ってます。よかったら、水を吸い出すのに都合がいい方法を教えてください」
「いいわ、教えてあげる。ここよ、ここ。ここから吸い出すのがいいと思うわ。できる?」
私は口元に指を当てて、若い男を挑発した。
見た目の幼さからキスの経験もあまりないと思ったから。初対面の女と簡単にキスができる男とも思えない。
「そこですね。ありがとうございます」
若い男はいきなり私を抱き寄せて私の口を吸った。
強引だけど嫌な気持ちにならない絶妙な加減で。
私の中の水はどんどん若い男の方に流れていく。
「あ、ちょっと待って」と言いたかったけど声にならない。ちゅぽんという音が鳴って、私の中の水は全て若い男に吸い取られてしまった。頭が真っ白になり、倒れそうになると、若い男に抱き抱えられた。
「……サトシ君。あなた、キスが上手なのね」
「いや、今日、初めてしました」
驚きと何か嬉しいような感情が浮かんできたけど、その後のことは何も覚えていない。
◇
アケミをベッドに寝かせて外に出ると、俺はマツダに電話した。
「もしもし、サトシです。今回の仕事、完了しました」
「本当に?すごいな、君は」
「水も取り返してマンションの貯水槽に戻しておきました」
「ありがとう。ご苦労様。
ところで、ミズサワ アケミはどうだった?」
「どうだったって?」
「いや、特に何もなければいいんだけど」
「はい、大丈夫でした」
「そ、そっか。よかった。じゃ報酬はいつものところに入れとくから。またお願いするよ。じゃ」
電話を切り、俺は急いで家に帰ったが、ユイの方が先に帰宅していた。
「ただいま」
「おかえり、兄ちゃん。どこ行ってたの?まさかまたマツダさんの仕事?」
「いや、ちょっと散歩に出てただけだよ」
「ふーん」
黙っていればバレないはずだ。
「でも、なんか雰囲気が変わったような……何かあった?」
「いや、特に何もないよ。気のせいじゃないか?」
「そうかなぁ。なんか嫌だな、今日の兄ちゃん」
「なんだよ、それ。兄ちゃん、ちょっと疲れたから晩飯まで昼寝するから」
俺はそう言って自分の部屋にこもった。
そして、唇に指を当てて、アケミのことを思い出しながら目を閉じた。
【第六話】茶色の種
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