『白雪姫と七人の継母』第三十一話「千歳と七人の継母」
拉致されるのは、これで五回目だった。
今回は部活帰り。練習を終えて校門を出てすぐのことだった。過去四回の被害経験から抵抗の無意味さを学んだ千歳は、背後に不穏な気配を感じるなり「久しぶりー今度はどこ?」と訊ねてみた。
「イイ心掛ケダ」
お決まりのエアガンを突き付けた菫は尊大に言った。
「ソコノ店ニ入レ」
菫が示したのはファミレスだった。新しいパターンだ。今度はどの継母に何を言われるのやら。
「やっぱりここにいた!」
「抜けがけとはいい度胸じゃない」
どこからともなく現れた椎奈と真弓が菫に詰め寄る。
「邪魔」
「あんた、六番目の分際でよくもそんなことを言えるわね」
「順番、関係ナイ」
「三人とも、往来でそんな騒いだら迷惑ですよ」
新たな継母ーーたしか名前は桜ーーも登場し、事態は混乱を極める。際限なく続きそうな口論に、千歳は早くも面倒になってきた。
「なあ、帰ってもイイ?」
『駄目っ!』
五人の継母が異口同音に答える。そう、五人。いつの間にか柚子が乱入していた。
「ここで立ち話というのもなんだ。まずは落ち着いた所に場所を移そう」
二番目、つまりは正妻の椿に次ぐ立場の柚子が取り仕切る。他の継母四人も賛成し、千歳の意思は当然のごとく無視黙殺されて移動することになった。
継母協議により、場所はどこぞの高級レストランの個室になった。さすがに男子高校生一人と五人の、それも見目だけはやたらといい女性達が一緒にいるのは目立つと判断したらしい。
個室に通された時点で至極当然のように継母が七人揃っていても、もはや千歳は何も指摘する気にならなかった。促されるまま長テーブルの端に腰掛ける。向かいの上座に正妻の椿。両側に他の継母達が座る。典型的な金持ちの食卓風景だった。
「ちょっと、あんたは接触を禁止されているでしょう!」
「千歳さんは栄光女子学院の関係者ではありませんから」
向かい合わせの真弓と百合がよくわからない口論をしているのを尻目に、椿が口火を切る。
「先日は雪見が大変お世話になったと伺っております。母として礼を申し上げますわ」
「は、はあ……どーもご丁寧に」
千歳は曖昧な返事をした。
モデルを引き受けたことか、楽器屋に連れて行ったことか、合宿帰りに絵の仕上げに付き合ったことか、一体どのことに対する礼なのか、判断がつかない。よもや雪見の部屋に押し入り、油絵を半ば奪い取るように買ったことではないだろうが。
「雪見はあの通り内気な子で、友人も少なかったのですが……」
そうだろうか。こと絵に関しては雪見はとても積極的で、他校だろうと臆せずに乗り込む気概があった。いつの間にか管弦楽部の女子と仲良くなって、今でも連絡を取り合っているのを千歳は知っていた。
「これからも雪見をよろしくお願いいたします」
なんとも母親らしい挨拶で椿は締めくくり、控えていたギャルソンに目配せする。心得たようにギャルソンは恭しく一礼して退室。ほどなくして三人ほど給仕を引き連れて、ワインやら水やらをそれぞれの前にセッティングする。濃い葡萄ジュースをグラスに注がれた千歳は、ようやく自分がもてなされていることを理解した。
「あの、もしかして用って……」
「ささやかな御礼をと思いまして」椿は品良く微笑んだ「懐石料理よりは相応しいかと。フランス料理はお嫌いでしょうか」
嫌いも何もここまで本格的なのは初めてだ。雪見に近づかないよう警告されるか、先日買い取った油彩画を要求されるかーー延々とお説教されるとばかり思っていた千歳は拍子抜けした。
「できれば事前に連絡してくれると嬉しいんだけど?」
「今朝、企画したもので」
それを思いつきと人は言う。招いているにしては、当初ファミレスに連行しかけたり路端でいがみ合ったりと、継母間で連携が取れていないような気もした。千歳の考えを見透かしたように、椿は「先ほどは妾達が失礼をいたしました」と詫びた後、一同を見渡した。
「あれほど良識と節度ある行動をと言ったはずですが、一体どういうことでしょうか」
「面目次第もございません」
代表する形で真弓が頭を下げる。
「しかし奥様、私達の心情もご理解ください。娘を送り出すのです。気が急くのも致し方ないかと」
椿は小さくため息をついた。
「くれぐれも白羽家の名を汚すようなことはしないように」
愛人全員が頷くのを確認してから、椿はワインに口をつけた。見計らったかのように前菜が運ばれる。彩り豊かな野菜とぶつ切りにしたタコのマリネ。フランス料理らしく量は大変少なかった。
「今回の件で、私達は反省したわ」
この中で一番反省とは縁遠い真弓が唐突に言い出した。
「いくら養子に迎えたくても、雪見は成政様の嫡子。妾である私達の娘になるよりも、正妻である椿様の娘として引き取られた方が体裁はいいわ。苗字もちゃんと『白羽』になるから複雑な家庭事情を気取られずに済む。害を為そうとする世間知らずも少しは減るでしょう」
千歳はタコの足をつついていたフォークを止めた。『複雑な家庭事情』について雪見はあまり語ろうとしない。だから千歳も最低限のことしか知らないが、大きな決断であることは理解できた。
七人の継母は白羽家の嫡子である雪見と養子縁組をしたくて常にお互い牽制し、時には争っていると聞いている。正妻の椿に譲るとなれば、真弓の発言は敗北宣言に等しい。
「もちろん、雪見と他人になるつもりはこれっぽっちもないわ。これまで通り母親として一緒に暮らしていくつもり」
真弓はわずかに目を伏せた。憂いを帯びた表情にはなんとも言えない色香があった。
「でも雪見との養子縁組は奥様にお任せするわ。その方が雪見のためですもの」
たしかに愛人に引き取られるよりは正妻の方が体裁はいい。ややこしい争いも少しは避けられるだろう。
しかしそれは、部外者から見た都合だ。当事者には合理性など関係ない。
「……あんたはそれでいいのかよ」
「仕方ないでしょう。雪見を日陰の身にするわけにはいかないし」
椎奈が暗い面持ちで答えた。驚くべきことに愛人全員が同意していた。今までの過干渉と往生際の悪さからは信じられない物わかりの良さだ。
陰鬱な雰囲気に千歳は居心地の悪さを覚える。なんだってそんな重い話を部外者の自分にするのだろうか。
「時に秋本千歳さん」
柚子がかしこまった口調で訊ねる。
「今はおいくつで?」
「……十八だけど」
胡乱な眼差しを注ぐ千歳にはまるで頓着せず、継母達はにこやかに顔を見合わせた。
「十八ですって」
「素敵だわ」
「雪見より早い」
「あと二年もないわね……ふふふ」
ついさっきまでの殊勝な態度はどこへやら、継母達は朗らかーーというには含みのある、笑みを浮かべる。
「千歳さんはヴァイオリン専攻生と聞いていますが、やはり音大に進学するおつもりで?」
かなり逡巡の後に千歳は小さく頷いた。
「あと四年は学生ね」
「音楽はお金がかかるから」
「援助も必要でしょうね」
ますます深くなる継母達の笑み。比例して千歳の中で嫌な予感が高まっていく。
「千歳さんはご長男だけど、妹さんがいるし」
「このご時世、家督相続もそう重要視されないでしょう」
いよいよ明後日の方向に話が進むのを察知した千歳が口を開きかけた時、継母達は一斉に書類を差し出した。椿を除く継母全員が、だ。
「わかってると思うけど、結婚までは手を出さないでね」
「二人きりの宿泊旅行も」
「朝帰りも」
「ヤッタラ始末スル」
などと好き勝手に言う継母達の声は、千歳の耳には届かない。千歳の視線は差し出された書類に向けられたままだ。目にするのは生まれて初めてだった。そういうものがあるとは知っていたが。
「養子、えん、ぐみ……?」
正確には『普通養子縁組』の申請書だった。満二十歳より申請できるーー継母達が今まで雪見に書かせようと躍起になっていた書類だ。
「ハアッ!?」
千歳は場所も忘れて大声を出した。
「皆さん、二年後には書式が変わっているかもしれませんわよ」
「そういう問題じゃねーから!」
素の状態で百合に突っ込む。相手が年上だとか場所が高級フランス料理店というのも頭からすっぽ抜けていた。
「いいじゃない。どうせ雪見と結婚するのは大学卒業後でしょ。その前にちょっと養子になれば」
近所に買い物に行くかの口調で軽く真弓は言ってくれるが、無論許容できるようなことではない。
「いや、なんで養子縁組? 俺が? あんたらの?」
「私達もよく考えましたの」
百合が千歳の前に自分の養子縁組申請書を置く。その際、さりげなく他の継母の申請書を退かした。
「雪見さんはいずれどこぞの殿方と結婚するでしょう。彼女の人生ですから止める権利は継母と言えどもありません。ですが、相手の殿方を養子にすれば義母になれるのです」
百合の言葉に他の継母も頷く。
「ね、素敵な解決法でしょう?」
「そもそも俺、あいつとどーこーなる予定ねェんだけど!?」
交際すらしていない、考えたこともない相手だった。しかし思考が既に明後日どころか次元の彼方に吹っ飛んでいる継母達に常識は通じない。
「雪見に『お義母様』と呼ばれるのも悪くないわね」
「結婚したら姓は旦那の方に変えるかもしれないし」
「言葉遣イヤ所作ハ、コレカラ叩キ込メバイイ」
「結婚式はどこで執り行いましょうかねえ」
「今度みんなで下見に行くか」
各々の普通養子縁組申請書を千歳の前に置きつつ会話に花を咲かせる。当人の千歳を置き去りに。雪見に至っては在席すらしていない。
「いや、待て、とにかく待ておかしいから!」
「もちろん待つわよ、あと二年」
「それまでに決めておいてくださいね」
いつの間にか養子縁組は決定事項になっていた。誰が養子にするかで牽制し合う雪見の継母達に、千歳は戦慄した。
一番まともそうだと思っていた椿ですら、まるで微笑ましいものを見ているかのように温かい視線を送る。送るだけで、止めるつもりは全くないようだ。
「……無理」
千歳は自力での解決を即座に諦めた。素人が下手にやろうとすれば往々にして事態は大事になるのだ。こういうのは専門家に任せるのが一番だ。
牽制はいがみ合いに、そして口論にまで発展した継母達の傍らで、千歳はスマホを取り出した。メッセージアプリを起動して専門家に回収を要請した。こちらの位置情報も送っておく。
はてさて、オジョウサマはどのくらいでたどり着くだろう。血相を変えてやってくるであろう雪見を想像し、千歳は小さく笑んだ。
手持ち無沙汰なギャルソンに、千歳は声を掛けた。
「あとからもう一人来るんで、席用意してもらってもいいっすか?」
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