すべからく『愛』を謳え 第十三話『輪郭』
すべからく『愛』を謳え 第十三話 『輪郭』
①標的
茉里子の部屋には、もう何人もの姉や妹達がごった返していた。皆一様にして低い唸り声をあげ、そこに停滞していた。
「これだけ家族がいれば、十分だろう? それにパッパがいるじゃないか」
藤本は自室に佇む茉里子を後ろから抱きしめて、その耳元で囁いた。
茉里子は彼の腕の中で器用に身を返し、細く華奢な腕を首に回して悪戯に微笑む。そして耳元に唇を這わせると、真っ赤な舌でひと舐めした後、囁いた。
『ママ……お……ば……さん、欲……しい』
「まったく、仕方のない娘だ……」
彼も茉里子の耳元でそう囁くと、今一度強く彼女を抱きしめた。そして姿見の鏡に写る、自分を抱きしめている姿に笑みをこぼす。そしてその時、彼の右目の瞳はまたもや、漆黒の闇に染まるのであった。
藤本は、茉里子が家族をねだる度に、めぼしい女性を見つけては、家族に迎える為の準備に精を出した。
茉里子の注文は厳しかった。
それは柔らかくもしなやかで、折れることの無い芯の強い女性。
見た目で判断出来ればいちばんいいが、人それぞれに抱えているものや、引きずっているものがある。見た目は強そうでも、心のどこかで疲れていたり、或いは諦めていたり、そんな女性は問題外。それを悟られないように気丈に振る舞っている、そんな女性を茉里子は望んでいた。どことなく幹恵を彷彿とさせる、そんな女性を彼女は、家族に求めているのだろう、藤本は素直にそう感じていた。
しかしまあ、そんな女性はそうそうに街中に転がっていない。やっとの思いで品定めをし段取りを付けるも、茉里子は瞬く間に家族へと招き入れてしまう。そのため、家族はどんどん増える一方。二人だけの愛の棲家も、見知らぬ家族たちで足の踏み場も無くなるのは、時間の問題だろう。
それでも藤本は、茉里子と居られるのであれば、それでよかった。
『おばさんが欲しい』
藤本は頭を抱えたが、茉里子の希望に沿うような、そんな女の目星はもうつけていた。
「お疲れ様でしたぁ!」
さおりはやっとのことで、タイムカードを打刻する。
今日は夕方からのレジスタッフが欠員になった為、夜八時の交代まで、レジに入らざるを得なかった。今まで澄江の件で、散々早退や欠勤をやらかしていた分、彼女は率先してシフトの応援要請に応えていた。
そのおかげか、今まで態度が硬かったパートスタッフたちとも、少しずつだが仕事以外で談笑したり、或いは仕事の相談に乗るなどして、その関係性は柔らかなものへと発展しつつあった。
「葛西さん、遅くまですみませんねぇ」
「いえ、今までご迷惑かけてばっかりだったので、このくらいは朝飯前です」
事務所に居た店長の倉持の前で、ガッツポーズを取るさおり。その笑顔に一瞬躊躇すると、なし崩し的に倉持は口を開いた。
「疲れたでしょう? どうです、これからご飯でも。頑張って下さったから奢りますよ!」
さも自然な流れかのように、食事の誘いを申し出る倉持。さおりはにっこりと微笑むと、
「お誘いありがとうございます。ですが、とっても疲れましたし、明日も朝からなので、今日は失礼しますね! 店長もあまり遅くなられないようにしてくださいね」
と、あっさりとその誘いを断った。
「そ、そうですね……明日もよろしくお願いします……」
「はい! よろしくお願いします!」
倉持は少しバツが悪そうにしたが、それを介さずにさおりは事務所を後にした。
今日も天気予報は雨。
それを信じて傘を持参したさおりだったが、持って来た時に限って、晴れるか、丁度やむか。今日は後者で、まだ少しだけ雨の匂いが、夜の空気に混ざり込んでいた。
駅前の繁華街は、この時間がいちばんの稼ぎ時。至る所からラーメンやら揚げ物、焼肉や海鮮の匂いが溢れ出し、さおりの鼻腔と空きっ腹を誘惑する。とはいえ、タイムセールで残った弁当が彼女の手元にはあった。勿論自分で買ったもの。廃棄するには忍びなく、結構な頻度で彼女は、かなりの数の弁当を看取っている。たまに自分が揚げた唐揚げも入ってたりで、そこそこ愛着さえある。今日はそれに肉じゃがのセット。
美味しい誘いを交わしながら、彼女は最寄り駅へと歩を進める。
「……!」
駅に到着した途端、さおりは何かしらの気配を感じ取った。
「なに? なんだろう? この感覚……」
一人呟き、周囲を見渡す。
周りは駅に向かう客、駅から出て来た客で溢れ返っている。三百六十度見渡しながら、行き交う人のその肩と肩、足と足の隙間に、さおりは目を凝らした。
見た限りでは、特に変わった様子はない。改めて、今一度後ろを振り返る。
その刹那!
背後には、またもや顔が血だらけ、否、顔が潰れて血まみれになった女性が立ち尽くしていた。
「きゃぁぁぁ!」
大きな叫び声をあげて、彼女はその場に倒れ込んだ。尚もその女性は彼女にだけ見えるようにして、呆然と立ち尽くしていた。
『な、……何が……言いたいの?』
恐怖におののきながらも、さおりは勇気を振り絞って、その女性に心の声で問いかける。
『げ……て……』
『なに?』
『て……に……!』
「大丈夫ですか?」
気がつけば後ろから、人の良さそうな小太りの中年男性が、心配そうに彼女を覗き込んでいた。
「あっ! は、はい! す、すみません……」
そう言いながらさおりが前方を見返すと、血まみれの女性はもういなかった。
立ち上がって、落とした弁当を拾う。
中年男性も、彼女が落としたであろう何かを拾い上げて、彼女に手渡そうとした。
「す、すみません……」
そう言って男の手を取った瞬間、さおりの身体中に激しい電流にも似た衝撃が駆け抜けた。
②警告
『邪魔しないで……あなたも同じ……孤独……さもなくば……無くなる……』
聡太郎の前に現れた少女は、吐き溜めのような声で彼を威嚇する。
その姿はまさに茉里子だった。しかし、あの日見た茉里子とは別物。明らかに波動が違う。あの時の茉里子は、わずかな力を振り絞って現れた、儚き波動。目の前の茉里子の姿をした少女は、計り知れない情念を秘めている。きっと茉里子では無い、別の怨霊のはず。聡太郎はそう悟った。
一歩も動けない状態で、彼はその怨霊を睨みつけた。それには今まで感じた事のない、禍々しい怨念が渦巻いている。少しでも油断すれば身体はズタズタに切り刻まれるだろう。そして、あらゆる心の隙間から侵入され、一気呵成に取り憑いてしまうほどに、その情念は強大だった。
聡太郎の中の『誰か』でも、それを飲み込むのは至難の業、聡太郎はそう感じ取った。
『何が目的だ!』
毅然として、彼はその怨霊に詰め寄る。
『あ、い……永遠の……あ……い……』
その怨霊は、低い声でそう呟いた。
『愛だと?』
聡太郎が心の声をあげた途端、怨霊の周りでのたうち回っていたあらゆる低俗霊達が、徒党を組んで聡太郎の周りを囲み始めた。聡太郎が動けない事を知ると、低俗霊達はこぞって、彼に向けて罵詈雑言を並べ始めた。
子供の頃はその声が怖くて仕方がなかったが、今となっては日常茶飯事。彼らの戯言など、耳を傾けるに値しない。
有象無象にいきり立つ輩を前に、聡太郎は熱を帯びた始めた左手を強く握り締めた。その途端、まるで吸い寄せられるようにして、雑多な低俗霊達はたちまち彼の左手の中に消えていく。
周囲から取り巻きが消えていくのを、その怨霊はまるで他人事のように眺めている。その余裕な佇まいに、聡太郎は内心、焦りと恐れを覚えた。
徐々に突風はおさまり、暗闇の中には聡太郎とその怨霊二人が残された。
『恐れなくて……だ……いじょうぶ……あなたとわ……たしはい……っしょ……』
見た目とは裏腹な汚泥のような声で、その怨霊は口を開いた。
「一緒にしないでくれ」
『お前で……はない……お前のな……かに居るあ……なた……お前は単なる憑代、器で……しかな……い……』
怨霊はそう言い放つと、一瞬にして聡太郎の中を通り過ぎた。
そして……
彼の中に走馬灯の如く、あらゆる映像を落とし込んだ。
「ぐっ! はぁああっ!」
その怒涛の勢いに堪らず、聡太郎はその場に跪く。
彼の脳裏に映し出されたものは、数十人、否数百人の、生命を奪われる今際の際。
生きる事を切望する中で、死ぬかもしれないという不安と恐怖。その最中に無惨にも断ち切られる生命という糸。その刹那にめくるめく、恐れと不安、痛みと絶望。
その瞬間、瞬間を、一瞬のうちに何度も何度も追体験をし、聡太郎は口から泡を吹き流しながら、その場に屑折れた。そしてビクビクと痙攣を繰り返し、のたうち回る。
「ああああ!」
嘔吐にも似た嗚咽を繰り返しながら、もがき苦しむ。そしてそれは長い年月、数多の人の生命を奪ってきたのであろう、『一瞬』では終わらなかった。何度も何度も、繰り返し、繰り返し『死』という絶望に彼を叩きつけられる。それはもはや『永遠』にさえ思える程に。
『これ……以上……関われば大切なも……のを失……うよ! お兄ちゃん……』
怨霊は茉里子らしい表情と声でにっこりと微笑むと、聡太郎の頭を掴んで持ち上げる。なされるがままに宙に浮く聡太郎。肩を寄せ、身を捩らせ、泡を吹く彼の姿に、怨霊は口角を歪める。
そしてその刹那、聡太郎の頭の中でバキバキと何かが潰れる音がし始めた。そして遅れて来る激痛。
怨霊は彼の頭を握り潰そうとしている。
聡太郎は目の前の現実と、頭の中の映像とが混濁し、『死』への恐怖に完全に取り込まれる。
聡太郎のその『堕ちた』表情を確認すると、怨霊は即座に手を離した。地面に崩れ落ちる聡太郎。したたかに尻もちをつき、後頭部をアスファルトで強打する。
未だに続く頭の中の映像と、頭部への激しい痛みに、もはや死んだかのように、彼はそのまま地面に伏した。
『大切なもの、どうするの?』
怨霊は座り込んで、聡太郎の耳に囁きかける。そして笑みを浮かべると、そのまますぅーっと夜の闇に馴染んで消えていった。
そして聡太郎はピクりとも動かなくなった。
③発覚
「ええ!なにこれ……」
幹恵は絶句した。
彼女は茉里子の部屋の中で、あるものを発見した。
それは彼女がまだ幼稚園の時分に書いていたという、『ひみつにっき』。
少女アニメのキャラクターが劇中で書いていたのを、茉里子が真似をして書いていると言っていた事を、幹恵は思い出した。
『ぜったいに見ないで!』
と、茉里子から念を押されていた事も、急に脳裏を掠める。そういえば、幹恵も何度かそのノートを探した事もあった。しかし、何処に隠しているのか分からぬまま、時が経ってしまっていた。
それは勉強机と壁の隙間に敷き詰められており、その中の一冊が、管理者の居なくなった今、その隙間から顔を覗かせていた。それに気付いた幹恵は、そこにあった全てを引っ張り出して、全てに目を通した。
その日記は幼稚園時代から始まり、ほぼ毎日書き込みがなされていた。そして小学校五年生辺りから頻度が低くなり、中学校になってからは更新されていなかった模様。
そして、それには彼女が認めたくない事実が書き込まれていた。
その日記の中には、度々『パッパ』という名前の男が登場している。彼は週に一度程度、彼女の前に現れてはお菓子や玩具を分け与えていたようだ。
いったい誰なのか? 彼女の文面だけでは、それは判別しづらかった。ほんの一瞬だけ、彼女の頭の中を嫌な予感が駆け巡る。
「違う……違う……」
確証も無いまま、彼女は首を横に振り続ける。そしてそれを確かめるように、ページを足早にめくり続けた。
日記の中では、茉里子もその『パッパ』をまるで家族のような口ぶりで書き表している。そして尚且つ彼を自分の部屋にも入れて、また、彼の自宅へも足を運んでいる。
幹恵はその事実を全くもって知らなかった。
日記の文中にもあるが、二人の関係性は二人だけの秘密。しかしながら娘の完璧なまでの秘密管理能力と、それを見抜けなかった自分に、幹恵は溜息をこぼす。
確かに仕事が忙しく、茉里子との時間を思うように取れていなかった。そして、少しでも豊かな生活を送るために、数多の男性達との関係も、彼女は維持し続けて来た。その為、家を留守にする事も多かった。
そのせいだろうか?
茉里子はその『パッパ』に父親を見ていたのだろうか? 埋まらない寂しさを紛らわす為に、目の前にある、目に見える優しさに縋っていたのかもしれない。 されど、それに気づけなかった自分は母親失格だ。
今まで、娘を大切に何不自由なく育てて来たという自信が、娘が居なくなった今になって、彼女の中で音もなく崩れ去った。
「!……この人は!」
読み進めていくうちに、真ん中のページに数枚のプリクラが挟まれていた。そこには同級生らしい友達と写った茉里子が居て、屈託のない笑顔がその瞬間が楽しかった事を想起させる。その面影からすると、小学校五年生くらい、今からおよそ六年ほど前のもの。
そして、その中の1枚に明らかに不自然なものがあった。
写真の真ん中には『パッパ』と書かれており、ピースマークで笑顔の娘の隣りに、だらしなく太った中年男性が、所在なさげに立っていた。
そして幹恵は、その男に見覚えがあった。
顔を見なくなって十五年以上も経って、見た目も少し変わっているし、デカ目加工で元の目は原型を留めていないが、忘れもしないあの男……
そう、あの日幹恵を辱めた、あの男だった……
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