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すべからく『愛』を謳え 第十話『過護』

すべからく『愛』を謳え  第十話『過護』

叫び
「本日未明、〇市内の雑居ビル内にて女性の遺体が発見されました。所持品は一切見つかっておらず、遺体も顔面の損傷が激しく、未だ身元は不明です。警察は事件性の可能性が高いと判断し、捜査を開始しています」
   アナウンサーは淡々と事件を報道すると、すぐさま次のニュースに移行する。
   そのニュースが切り替わった瞬間、『バンッ!』と何かが落ちたような激しい音がテレビを襲い、一瞬にしてその画面を暗転させた。
「あれ?」
   相変わらず体調の悪い聡太郎は、ベッドの中からリモコンをテレビに向ける。
   数秒経って、画面はゆっくりと暗闇から何かを映し始めた。
「あぁ……」
  聡太郎は溜息をついた。
  その画面に映し出されたのは、血色を失って青紫に変色した、複数の女性の腕や脚、腹部や背中、胸部や臀部。それらが所狭しと、画面の中で蠢いていた。それらは蛇のように互いに絡み合い、もつれあい、くんずほぐれつの様相を呈していた。まるでその画面から飛び出さんばかりの勢いだ。
  そして満を持したように、液晶画面に亀裂が入る。
  微細な破片が部屋に飛び散り、鋭い亀裂音が部屋中にこだまする。
『ぎゃぁぁぁぁぁぁあああ!!』
  その亀裂音と一緒に、大勢の女性の叫び声が重なる。
   聡太郎はそのおぞましさと、耳を破壊する程の絶叫に、目と耳を塞いだ。その途端、バタバタと何者かがフローリングの上でのたうちまわる音が聞こえた。
    うんざりしたようにして目を開けると、そこには青紫の肌をした裸の女性達が、テレビの画面同様に激しくのたうち回っていた。その姿は陸に打ち上げられた魚のようで、今際の際を前にして、渾身の力をふりしぼりながら、それに抗っているようであった。
   女達の顔は皆、潰されており、歪んだ口からは血が吹き出している。その血はぬらぬらと床一面にそれが広がっていく。女達の肢体もその血をまとい、何度も滑っては転び、またさらに血を撒き散らすを繰り返していた。
   
   ここ数日ずっと微熱が続き、徐々に『渇き』も強くなって来ていた。その最中のこの霊障。毎度ながら、正直うんざりだった。彼の中の『誰か』が獲物を見つける度に見舞われる、頭痛と発熱と倦怠感。慣れてしまっているところもあるが、もういい加減、身体も心も疲労困憊である事は確か。たった一瞬のわずか一雫の為に、長い期間ベッドに倒れ込み、しまいには誰かの恨みつらみの人生を追体験する。その流れは回を増す毎に重く、暗く、激しく捻転した厄介なものになっていく。
   過去に『覚悟』は決めたとて、その使命感も疲弊と消耗を繰り返し、ギリギリ薄皮一枚で保たれている程度。いつかそれは破れるだろう。半ば諦観で聡太郎はそれを受け流していた。

   聡太郎の思惑などお構い無しに、尚ものたうち回る女達。その滑稽で無様な姿に、聡太郎は今の自分を重ねた。それをせせら笑うと、彼はベッドから身を起こし、左手を女達の頭上に掲げた。
    徐々に熱を帯びる左手。女達はそのわずかな温度の上昇に気づくと、我先にと彼の左手に飛びついた。
    何人もの女性に左手を捕まれ、聡太郎はベッドから落ちそうになる。それを必死に耐えると、今度は次々となだれ込んで来る彼女達の映像の波に、彼は歯を食いしばった。



藤本一義
   藤本一義は、未だに実感が湧かなかった。そのせいか、涙さえも出てこない。溺愛していた娘、茉里子が亡くなったというのに……
    
   彼女の葬儀には、以前に愛を誓いあった妻、幹恵も顔を出していた。あんなに心を砕いた女だったのに、その彼女の残り香さえ、もう彼の中には残っていなかった。
   昔から活発で、洗練された大人の色香を持ち合わせていた幹恵は、喪服姿でも周囲よりも際立って見えた。参列した男性や、斎場のスタッフ達も、無意識に彼女に視線を奪われていた。
   しかし、藤本はその列にはもう加わらない。彼には一人娘、茉里子が居たから。

   出産に立ち会った彼は、産まれたてのしわくちゃの彼女を見た時に、戦慄を覚えた。
『こんなにも小さくて、脆くて儚い生命を、自分はこの先、しっかりと守っていけるのだろうか?』
   そのあまりもの小ささと、産声をあげたばかりのその無防備さに、彼はひたすら躊躇し、己の覚悟を思いあぐねいた。
   しかし、そんな不安は一瞬にして、決意へと転じるのだった。
    面会を許されてから、彼は恐る恐る我が子、茉里子
と対峙した。
    まだ目も十分に開かないままに、小さな身体で呼吸を繰り返し、必死に生きようとしている姿に、藤本は歓喜した。絶え間なくバタバタと動き回る手足、まるで空気を咀嚼するかのように、もごもごと反芻を繰り返す口、まさに『生きる』意志がそこにはあった。
「茉里子……」
  そのいたいけな姿に目頭が熱くなり、口ごもる藤本。
  宙にあそぶ彼女の指に、自分のそれを近づける。
   茉里子は力いっぱいに彼の指を握り締めた。
  指の温かさや、その力の入れ具合に、生命力と深い絆を感じた藤本は、彼女を護り育てるという使命感に打ち震えた。
『俺は世界でいちばん、この子を愛し、慈しみ、ずっと未来永劫に護っていく!』
   そう、固く心に誓うのであった。


   そんな茉里子もすくすくと育ち、今年は高校受験の年のはずだった。しかし、その未来は脆くも崩れ去ってしまう。
     
    三日前。
    彼女は自宅の自室で、遺体で発見された。
   病に伏していた訳でもなく、何かに心を病んでいた訳でもない。至って元気はつらつとしていた彼女。
   死因は頸動脈の圧迫。首を吊った自殺なのか、誰かに首を絞められたのか、それは定かにはなっていない。部屋には争った形跡もないことから、きっと警察は自殺として片付けるのであろう。
    藤本は客観的にそう考える。
   彼女は何故、死に至ったのか?
   自殺?  或いは他殺?
   どんなに憶測を重ねても、彼女はもう戻ってこない。それだけは揺るぎない事実。
   しかしながら、未だにそばにいるようで、下手したら夕方に元気よく学校から帰って来る気がして、彼は彼女の死を、実感出来ずにいた。
   
   自宅のあちこちに茉里子の残り香が散りばめられており、仕事から帰っても誰も居ない、真っ暗な部屋も『孤独』には感じられなかった。

   藤本は冷蔵庫からビールを取り出すと、うがいもせぬままに、それを煽った。キンキンに冷えた麦汁が、喉をすり抜け、体内へと流れ込む。空きっ腹に落ちるそれは、鉛のように重く、飲み込むには多少の痛みを要した。それでも彼は構わずにビールを体内に流し込む。それから二本、三本と本数を重ね、ビールだけで腹を膨らませてしまった。
   自堕落にも彼は酔い潰れ、テーブルに並べられた空き缶を床に払い落とすようにして、その場に伏した。
  そこはかとなく浅く怠惰な睡魔が、彼に押し寄せる。藤本はそれに抗うことなく、そのまま目を閉じた。


   どのくらい眠っていただろうか?  
  酔い潰れていた藤本は、急に目を覚ました。不純な浮遊感の中、頭を起こすと、遅れて着いてくるようにして、岩と岩を擦り合わせるような鈍い痛みが、彼の頭を苛めた。
「痛ててて……」
   痛みに顔を歪めながらも、藤本は周囲を見渡す。
   いつも暮らしている、いつも通りのリビング。
   何かが違うと言えば、そこに愛子である茉里子が居ない事。しかし、どの部屋も彼女の匂いと気配は、ずっと残っている。それが唯一、藤本が寂しさと孤独に発狂せずにいられる、最期の砦だった。

  『……パ……っち……』
  誰かの囁く声が、彼の耳流れ込む。その声は聞き馴染みのある、彼が世界でいちばん愛した者の声。彼が聞き間違えるはずもない。
「茉里子!」
  確信して、彼はその声のする方へと振り返った。
「ま、茉里子……おかえり……」
   振り返ったテレビの前には、紛れもなく茉里子本人がそこに立っていた。
   藤本は頭が痛いことも忘れて、彼女に駆け寄ると、力の限り、強く、きつく茉里子を抱き締めた。嗅ぎ慣れたシャンプーの匂いや、華奢で少しだけ骨張った身体付きも、まさに茉里子そのもの。そう、藤本は断定し、今一度抱きしめる腕に力を込めた。そして茉里子もそれに応えるようにして、背中に回した手に力を込めた。
  藤本にとって、もはや現実などどうでも良かった。       目に見える事実は、見て知って聞いてきた概念の寄せ集めだ。そんなもの、『自分』が否定さえしてしまえば、いくらでもまやかしにする事だって出来る。
   しかし実体はなくとも、今、目の前に見えている世界を『現実』と思えば、それは『現実』。過去も未来も関係なく、それが『全て』だ。そう、彼にとって、茉里子が、茉里子の存在こそが、彼を形成するための全てだった。


   

陽炎
   数日後。
   幾度となく、青紫色の女達の応酬に悩まされた聡太郎は、致し方なく彼女達の声に耳を傾けた。そして彼女達が帯びていた過去の残像を頼りに、今日もまた奔走するのだった。

「本日もまた、若い女性の遺体が、都内の廃工場から発見されました。」
「またしても、若い女性の遺体が、今度は〇市内の公園の砂場にて発見されました」

   連日、テレビやネットを脅かす、謎の連続殺人。
  その手口は往々にして、身ぐるみ剥がされた挙句に顔面を強打され、ほとんどの亡骸は身元の判定が付かないままにあった。
   聡太郎はその被害現場に足を運び、彼女達の叫びを拾い集めていった。
   しかし、その拾い集めた声を繋げても、それはあくまで『叫び』なだけであり、何かの決定的な証拠や、手掛かりになるものは、見当たらなかった。
   ただし、彼女達が何者かに殺されている事、そしてその背後には、怨念と誰かの情念が交錯している事は間違いなかった。その証拠に、被害者である女性達の殺される以前の情念は一切残されておらず、というよりそこだけを残して、それ以前を司る魂は食い荒らされているかのようだ。まるで最期の焦げだけを吐き出して、それ以外は丸呑みしているかのように。
    何一つ確証は無いが、聡太郎にはそう思えて仕方がなかった。

   夏の暑い陽射しを、目深に被ったフードで覆い隠しながら、彼は汗だくで駆けずり回った。完全防備の下の四肢は汗にまみれ、脳裏に映る生々しい映像と悲痛な叫びに、彼はもはや満身創痍。幾度となく今回が最期になるかもしれない、そう危惧しながら歩みを進めていたが、積み重なる心身へのダメージが、その危険性を顕著に訴え始めた。
  毎晩誰かの過去を悪夢に見て、目を覚ます。
   浴びた紫外線で黒ずんでいく肌は、一度怪我をすれば、ちょっとしたかすり傷でも、全治一週間は掛かり、酷い時は化膿し、異臭を放った。
   そして、全く何もやる気が起こらず、心が『屍』と化す時間が徐々に増えていった。その時に『誰か』が『渇き』を訴えれば、何もせずとも彼の中であらゆる感情と細胞が拮抗を繰り返し、激しい疲労感と倦怠感に苛まれた。そして決まって蕁麻疹や帯状疱疹を併発し、緩急を挟むことなく、心と身体は酷使されていくのだった。
   そして彼は思うのだった。
    『このままいけば、僕は死ぬかもしれない。そうなれば、この地獄とさよなら出来るかもしれない』

   昨日現れた女の残像を拾った帰りに、いざよい橋を聡太郎は歩いていた。
   いつもの如く、周囲に好奇の目を向けられるが、それに構うことなく、彼はひたすらに歩き続けた。

   熱波に揺れてぼやける、視線のその先に、またもやこの世のものでは無い、誰かの影を見た。
    近づくにつれ、それは鮮明になっていく。この怨念もまた、『見える』彼に意図して姿を表したようだ。    その証拠に、その視線をひしひしと感じた。
『誰?』
  聡太郎はその影に、心の中でそう問うと、それに応えるように、その影はくっきりとその姿を顕にした。

   そこには学生服姿の女の子が、泣きそうな顔をして、彼を見つめていた。





つづく


    


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