見出し画像

📕ガルシア・マルケス「百年の孤独」〜極彩色に彩られた壮大なタペストリー



「この一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところとなる」〜ガルシア・マルケス「百年の孤独」単行本470Pより抜粋

 この長い長い物語を読んで何を感じるかは人それぞれであるので、僕はそこにはあまり触れないでいわゆるマジック・リアリズムと言われているガルシア・マルケスのその独特な文体を中心に読後の感想を書きたいと思う。

 「百年の孤独」とは、マコンドという架空の街【南米】に住むブレンディア一族の100年にわたる盛衰の物語である。もっと言えば、マコンドという街そのものの盛衰の物語とも言える。

 一族の盛衰の物語といえば、僕にとっては、昨年読了したばかりのトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」が記憶に新しい。しかし、「ブッデンブローク家の人々」が圧倒的なエピソード描写を駆使した、最高レベルのリアリズム小説であるとすれば、「百年の孤独」はそれとは真逆の立ち位置となる。

 先日、ネットでの書評をあてもなく見ていたら、「百年の孤独」はファンタジー小説だ、と断言していた人がいた。しかしながら、この「百年の孤独」はれっきとしたリアリズム小説である。

 よりわかりやすく言えば【ファンタジー作家がジャーナリストとの目でリアリズム小説を書く】とこうなるのではないか(笑)。

 文体は僕が感じたところではまるで新聞記事である。緻密で具体的なエピソードが無限に記述され、それがまるで地層のように折り重なって物語を形成している。その証拠にこの小説、ほんと、会話が少ない。活字でびっしりと埋まっていて、活字が嫌な人はもう一見しただけで本を閉じたくなるはずだ。

 そして、単に新聞記事的な文体なら良いのだけれど、その中に現実的にはありえない描写が混ざってくる。例えば、死んだはずの人間が平気で生き返ったり、窓の外で空飛ぶ絨毯が飛んでいたり、シーツを持った女が昇天したり、殺された男から流れ出た血が道を這っていったり、雨が四年間降り続いたり、二百両連結の貨物列車が走ったり、街中に不眠症が疫病のように蔓延したり、、

 このような非現実的な描写があまりにも具体的でディテールに満ち、淡々と書かれているため、読み手はあたかもそれが現実に起こったのように錯覚してしまう。

 簡単な一例を挙げれば、マコンドが衰退していくきっかけとなった長雨。

「四年と十一ヶ月と二日、雨は降り続いた」〜単行本362頁より抜粋

 と、こんな具合だ。期日、時間、数量、時刻、そういったものがあまりにも詳細に記述されているため、まるで新聞記事を読んでいるような錯覚に陥ってしまうわけ。これがホラーやファンタジー小説とは全く違うところ。それがいわゆるマジックリアリズムと呼ばれる要因なのだと思う。

 この独特な文体がもたらす破壊力は絶大で、同じ名前の違う登場人物が頻繁に出てきても、その混乱すら上回る印象を残す。いや、そうではなくてその混乱が、マジックリアリズムと呼ばれる文体と呼応して大きなうねりを起こしているとさえ言える。

 しかしながら、、、、読み終えた時の疲労感は半端ない。余韻も半端ないけど、、、再読すればまた色々と発見がある物語だとは思うけど、涼しくなってからにしよう。この猛暑の中、完読するのはなかなか根性がいると思う作品。文庫版が売れに売れてお祭り騒ぎになっている「百年の孤独」ですが、読書の秋にじっくり腰を据えて読むことをお勧めします。

 

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?