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2019~2020年旅順旅行(1)

 年末のアジア遠征ですが、諸事情(金欠)により1993年以来継続してきた「年越しを海外で過ごす似非セレブ」イベントが今年でついに途切れるかと思いましたが、近場の中国の大連行きでダンピングのような価格の航空券を拾うことができましたので、めでたく記録更新となりました。
 今回は暦の関係で年末年始が9連休となるので、当初はイランのシーラーズへ行こうと企んでいました。今アメリカのトラさんのおかげでイラン情勢が大変きな臭くなっていますので、嫁を質に入れてでも旅行資金を確保すべきだったと今になって後悔していますが、そもそも私には嫁もダンナもいません。私もイラン人と一緒になって「アメリカに死を!」などとシュプレヒコールをしてみたかった、てするわけないです。
 日本出発が30日の月曜日で、しかも出発が関西空港なので、28日と29日は日本の中国地方を青春18きっぷで彷徨しました。そしてそのまま家に帰らず直接関西空港に乗り込んだのですが、往路で搭乗するのは春秋航空。中国のローコストキャリア(LCC)です。LCCは関西空港では第2ターミナル発着です。いつのまにかそんなものができてたんですね。
 JRを降りて第1ターミナルとは反対方向に進み、案内に従っていくと第2ターミナル行きの無料シャトルバス乗り場に行きつきます。それに乗って5分くらいすると第2ターミナル到着です。第2ターミナルは国際線も国内線もありますが、建物がほとんど何かの倉庫を改造して作ったようなブツで、とても関西空港にいるとは思えません。飲食店もあまりありません。空港も見事なローコストっぷりです。出国審査と保安検査を経てボーディングゲートに向かうところなんか、ほとんど関係者通路のような造りで、極めつけは出口から飛行機まで「歩いて移動」です。バスに乗るような距離ではないので特に問題があるわけではないのですが、飛行機とターミナルの間を歩いて移動したのは、他では今年の夏に行ったウズベキスタンのサマルカンド空港ぐらいのものです。
 機内の食事は事前予約が必要で有料です。はっきり言って機内食は好きではありません。今回は手配しませんでしたし、周りも誰も食事していませんが、そんな機内食もないとなんだか物足りないものです。もっとも誰も食べていない中で一人だけ食べているのもいかがなものかと思います。
 そのうちに大連空港に着陸です。大連はかなり寒いのですが、関西空港のように外を歩かされることなくボーディングブリッジを使ってターミナルに入ることができました。なにかと驚かされることの多い春秋航空搭乗でした。2回目はあるか?

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 大連の定宿、日航飯店。今回はいつもよりちょっとだけ値段の高い部屋にしたら、階もちょっとだけ高い部屋になりました。隣の高層マンションの部屋の中もちらちら見えます(覗いたのではありません、見えたのです)。日本ではこんなホテルに自腹で(自腹でなくても)泊まることはありえません。

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 今回の目的地は2年前と同じ旅順。旅順といえば日露戦争の大激戦地である旅順要塞の攻防戦。ということで2年前は二百三高地、東鶏冠山北堡塁、水師営会見所という定番に加えて、旧旅順刑務所を見て回ったのですが、旧旅順刑務所と水師営会見所以外は交通の便が悪く、本当は旅順市内をもっとよく見て回りたかったのですが時間切れとなったので、今回はそれ以外のモノを見に行くものです。
 旅順に行くには、地下鉄と近郊鉄道を乗り継いでいくのと、郊外バスで行くという方法がありますが、地下鉄ルートで行くことにします。が、その前に中山広場の東にある大連満鉄旧址陳列館を覗いてみます。もしここが開館していればここを見てから旅順に行こうと考えたのですが、ここは常に開館しているのではないということなので、今はどうなっているのか様子見です。で、行ってみたところ「開館時間:9時~17時」てな表示があったので、もしかしたら今は普通に開館しているのかもしれないと思い、ただし今は午前8時なので、いったん旅順に行ってからそこに行くことにします。
 今日は日本でいう「大晦日」にも関わらず、地下鉄は通勤ラッシュの時間帯で相当混雑しています。中山広場から地下鉄2号線に乗り、西安路で地下鉄1号線に乗り換え、終点の河口で快軌12号線という名の近郊列車に乗り換え、旅順で下車します。切符は通しで購入できます。約1時間半で旅順に到着です。
 2年前もこのルートで旅順に来たのでここの勝手はわかっています。ここの旅順駅は周囲は何もないところで、市内バスを使わないと市街地に行けません。そして市街地の反対方向が水師営方面で、前回はこちら行きのバスに乗り込みました。今回は市街地方面のバスを使います。駅の出口付近にはタクシーの客引きのおばちゃんが待機していて、私が日本人だとわかるのか声をかけてきますがスルーします。で、バス停で寒い中なかなか来ないバスを待っていると、今度はおっさんがタクシーに乗れと声をかけてきます。日本人は二百三高地にいくものと決めてかかっており(実際ほぼそのとおりでしょう)、しつこく中国語でからんできますが無視されるので、スマホの翻訳アプリを使って食い下がってきます。「バスはない」「日本人」「スパイみたい」「ばか」などといった画面を見せてくるのでそっぽを向いたらわざわざスマホを顔の前に押し付けてきます。あまりにしつこいので「はーっ」と息を吐きつけてやると、おっさんは周囲の人間にこの日本人がどーたらこーたらと話しかけ、話しかけられた方も笑っていたので、過去に記憶がないくらい久しぶりに中国大陸で頭に血が上りましたが、ここは完全アウェイの地、できることは完全無視だけでした。
 ようやくバスがやってきました。おそいよ。ばかやろう。

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 旅順市街方面のバスは、中心部のバスターミナル方面と西側の文化街方面とがあり、文化街方面のバスが先にやってきましたので、そのバスに乗り込みます。
 最初に訪れたのが文化街にある「旧旅順ヤマトホテル」。ヤマトホテルについての説明はこちらを参照。https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤマトホテル
 ネット検索すると建物の中の写真もあったりするのですが、目の前にある建物は、これから改装するのか取り壊すのかどうなんでしょう。旅順はつい最近まで外国人立ち入りが制限されていたところなので、大連のような文化財?保存の動きが進まなくて今に至っているのかもしれません。

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 こちらは、旧旅順ヤマトホテルの道を挟んで東側にある「旧旅順師範学堂」。中国人のための師範学校とのこと。建物の周りをフェンスが囲っています。間近で見ると相当荒れ果てています。

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 旅順ヤマトホテルの北側にあるのが「旧粛親王邸」。粛親王は清王朝の名門で、戦前に名をはせた「男装の麗人」こと「川島芳子」は粛親王の出身で、日本の川島家に養女となったためこの日本人名を持っています。川島は旅順ヤマトホテルで蒙古族の満洲国軍将校と結婚式を挙げています。ただし3年後に離婚していますが。映画「ラストエンペラー」に登場する人物ゆかりの建物ということで足を運んでみましたが、先の荒れ放題の旅順ヤマトホテルなどと違ってきれいな建物ですが、これはこれで手入れし過ぎというか、リノベーションされたただの豪邸にしか見えません。

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 続いて東の方に向かって少々歩くと旅順博物館がありますが、そのすぐそばに「旧関東軍司令部」の建物があります。この時は建物を眺めただけでしたが、実は中は自分好みのなかなかきな臭いブツ満載の見どころだったようで、しかしながら今は修理中とのこと。日本の同志に日本帝国主義の実態の教育を受けさせる機会がなかったことについて、旅順の同志は自己批判すべきである、ということにしておきます。

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 そして、旅順博物館です。ここが旅順市街のハイライトの一つかと(もう一つが2年前に行った旧旅順刑務所。伊藤博文を暗殺した安重根が拘束された部屋が残っている)。ここの見どころは、ミイラをはじめとする通称「大谷コレクション」で、明治から大正にかけて実施された、西本願寺の法主だった大谷光瑞によるシルクロード探検での収集物が展示されています。
 当時の中央アジアはイギリスとロシアとの「グレートゲーム」の最前線の一つで、相当の政治的混乱状態の中での探検であったわけですが、その活動が果たしてイギリスとロシア、そして清王朝や中華民国から「純粋な宗教活動」と見られていたのか。歴史家の端くれとしてはそちらの方が気になります。ちなみに有名な探検家ヘディンもこの時期に中央アジアに潜入しています。

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