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2005年ウズベキスタン旅行(タシケント編)

 タシケントの中心地アミール・ティムール広場にあるティームール像。この像は現在のウズベキスタン共和国を象徴している。
 ソビエト連邦時代はカール・マルクス像があったが、その後成立したウズベキスタン共和国政府はティムール像に取り替えた。共産主義国家ではないウズベキスタン共和国にマルクス像はそぐわないこと、歴史的に西トルキスタンの英雄であるティムールはチンギス・ハーンとともにソ連時代は悪者扱いされてきたが、体制が変わったことでそのような評価を「しなくてもよくなった」からである。そういう意味でこの国を象徴している。ただ単にこの地の英雄だから、というだけではない。
 まだある。今度はネガティブな視点から。
 ウズベキスタン共和国、ソ連時代はウズベク共和国だったが、この「国」そのものはソ連が人工的に作り出したものである。それ以前のトルキスタン住民の帰属意識はまず宗教、そして部族とか生業であり、トルコ系とイラン系のバイリンガルが珍しくないトルキスタンにおいて言語はそれよりも下位となる。つまり「ウズベク人」及びウズベク人の国である「ウズベキスタン」というものは、もともとは「とってつけたもの」だった。
 ではその「ウズベク」の名の由来はというと、モンゴル帝国が分裂してできた集団の一つキプチャク・ハン国及びその後継集団を指すジョチ・ウルスのひとつである遊牧集団「ウズベク」からきている。ウズベクはティムールの後継集団(のちのムガール帝国の創始者バーブル)を最終的に追い払った。すなわち支配者層においてはティムールとウズベクは敵だったわけで、それなのに英雄だからということで敵集団の創始者を引っ張ってくるという「とってつけた」行為を「とってつけたもの」が行ったという見方をするのはあまりにも皮肉的かもしれないが、この国の生い立ちと重なるという点でこの国を象徴している。もっともこの地の当時の定住民にしてみたら、誰が支配者だろうとスンナ派イスラムの擁護者であればよかったのかもしれないが。(ちなみに、バーブルは一旦はサファヴィー朝の援助を得てこの地を奪還しているが、援助の条件であるシーア派信仰を「律儀にも」行ったために住民の支持を失ってしまい、そのために最終的にウズベクに敗れることになる)
 ……こんなもんかな?

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