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2013年中カ国際列車+新疆伊寧(イーニン)旅行(2)

 早朝5時に起床。ターミナルに行くために、ホテル前のバス停でバスを待つ。ところがというか当然のことだが、早朝はあまりバスが走っていない。それどころか車もあまり走っていない。ちょっとあせったがしばらくするとバスがやってきた。
 6時半頃バスターミナルに到着した。間もなく改札が始まり、中国行きのバスとご対面した。バスは3台あり、2台は中国、1台はカザフのバスのようだ。3台とも寝台バスという、日本ではお目にかからない代物。車内に座席はなく2段ベッドが設置されている。
 ところで、3台あるバスのうち、自分の乗るバスがどれなのかわからない。係員らしき人を捕まえてチケットを見せると、あっちだと言われ、そのバスに乗り込んだが、自分の席というかベッドは上段で、思いのほか天井が低い。横にゴロンとしているのは楽でいいと思われるかもしれないが、夜ならそれでもいいかもしれないが、昼間窓から景色を見るには意外と姿勢が苦しい。しばらくしたら、アンタのバスはこっちじゃないと言われ、別のバスに乗り込んだ。こっちのバスは前のよりも若干天井が高かった。
 定刻7時になってもなかなか出発しないのはアジアのバスの流儀だが、自分が乗っているバスはほとんど客が乗っていない。1時間近く遅れてバスは発車した。こんな閑古鳥が鳴くような状態で行くのかと思ったが、やっぱりというか、結局途中の停留場で客が乗り込んで結局満員となった。バスは満員で(場合によっては定員オーバーで)走るのもアジアの流儀。
 3台とも乗客はカザフ人がメインで、中国人顔した人は見当たらない。道路の舗装が痛んでいるのか、バスはよく上下に揺れる。ベッドに寝転がっていると、振動で体が段々前にずれていくので、ベッドの柱に足をかけて前にずれないように踏ん張っていた。車内はエアコンが効いていた。スピードは時速60キロ程度だろう。外の景色は単調。もう寝るしかない。

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 途中のお昼休憩。外観はボロそうなところだが、中はご覧のとおり。エアコンもある。
 こういうドライブインのようなところは初めてだが、とりあえず椅子に座るとお店の人がオーダーを聞きにやってくる。いつものとおりついラグマン(うどん)とかピラフとかをオーダーするが、ないとのこと。一瞬何を注文すればよいのだろうと思ったが、とっさに自分の前に座っていた人がマントゥを注文していたのを思い出し、じゃあマントゥを、ということで出てきたブツがこれ。おいしかった。
 ここで、バスの車掌のような、ツアーコンダクターのような女性に声をかける。あたしゃイーニンで降りるよと伝える。ところが、このバスはに行かないよ、みたいなことを言われる。ああ、そうか。イーニンは国境じゃないからそうなるわな。ということで、国境で降りると伝えようとするが、これがなかなかうまく伝わらない。「一応」英語で話するが、最後の方は身振り手振りも交えて日本語で説明。これではますますわからないはずだが、まあなんとか伝わったはずだ。ふと周りを見たら、皆自分の方を見ていた。よほど自分はおかしなことをしていたようだ。

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 出発から7時間後に、国境手前の検問に到着した。自分のパスポートは珍しいのか怪しいのかは不明だが、パスポートのページに穴が開くくらいじっくり中を見られた。だが何も不備はないので支障なく通過することができた。この時、バスの中で自分の横にいた家族が中国人だということがわかった。といってもカザフ系の中国人なのだろう。
 そしてカザフスタンの国境管理事務所に到着した。中での待ち時間中、いろいろな方から声をかけられた。あるカザフ人男性は、ナガサキがどうのこうのという、日本人に対して何か話をしたいが特別ネタがないときに使う定番の言葉を言ってきた。やはり原爆のことを言ってるのだろう。決して長崎ちゃんぽんを食べたいと言っているのではないはずだ。ということで、こちらもソ連時代の核実験場だったセミパラチンスクという地名を言い返したが、反応がなかった。的外れなことを言ってしまったのかもしれない。世界平和の実現はまだ道半ばだ。またある年配男性からは、日本人かと聞かれたので、アナタはと聞き返すと、イスラエルのパスポートを見せた。その人はロシア語を普通に話す。このように、特に中央アジアでは顔つきだけでは民族的に国籍的に何人なのか判別がつかない。
 カザフスタン側では出国審査、税関とも何も声をかけられなかった。この事務所からは、何もない緩衝地帯の向こう側に中国側の建物が見えた。なぜか「中国に戻ってきた」という感慨が沸き起こった。しばらくした後にバスに乗り込んでカザフスタンを出国した。

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 バスは中国に向かって出発した。中国側は、建物は見えるものの、結構遠い。そして緩衝地帯の道路はなぜか直線ではなく大きく迂回している。理由は不明だが、きっとこれは国境マニアのための一種の演出に違いない。
 中国の入国審査では、女性の係官からこれからどこへ行くのと訊かれたので、今日はイーニン、明日はウルムチ、あさっては日本と答えたら、「まあ」と言われた。素敵な中国を素通りなんて理解できないと思われたのかもしれない。税関ではバッグを開けられ、何か質問されたが、言葉の意味がわからなかったので、言葉がわからないという顔をしたら、もういいという感じで放免された。
 全ての検査を終えて建物を出ると、中国元を持ったカザフ人っぽい男が二人ほど犬みたいにまとわりついてきた。いわゆる闇両替屋だ。本当に顔を引っ付けんばかりに近づいてきて、お前中国元持っていないだろうみたいなことを言われて極めて不快だ。中国元は十分持っているし、なおかつカザフのお金もせいぜい2千円程度しかないので、元はあると言ったら、相当意表を突いたようで、一瞬えっという顔をしたが、それ以上は寄ってこなかった。「中国に帰ってきた」という感慨も、中国に入国してほんの数歩歩いただけで、いきなりナマの中国の洗礼を浴びせられたことで台無しだ。それが中国という国だ。
 カザフスタンから乗ってきたバスには、国境で降りる旨をあらかじめ話しておいたつもりだが、一応あいさつだけはしておこうと思い、バスを探したが見当たらない。またもやおいていかれたか。まあ別にいいだろう。
 国境からイーニンに行くバスはすぐに見つかった。1台目のバスはすぐに発車した。2台目のバスには、先ほどのバスで隣だったカザフ系中国人家族もいた。しかしながらバスは満員にならない。我々だけを載せて出発したと思ったら、すぐに街道をはずれてどこかの集落に入った。そこで客をかき集めようとしたようだがあまり成果はない。1時間ほどしてようやく満員にするのをあきらめてバスは再出発した。

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 イーニンに到着した時は外は真っ暗だった。16年ぶりに訪れたイーニンは、豊橋よりはるかに賑わった街に変貌していた。バスを降りる時、なぜか運転手が、お前は台湾人かと聞いてきた。自分のどこが台湾人に見えたのだろう。台湾人と言われたのは初めてだ。ここまでさんざんスパイまがい活動をしてきたが、幸いバスを降りても怪しい日本人を拘束しようとする動きはなかった。
 予約しているホテルは、バスターミナルから2キロほどのところにあるが歩いていった。この日も移動ばかりの日だった。もっとも今回の旅行は移動するのが目的のようなものだ。近くの屋台で無事ミッション終了を一人で祝った。ホテルでは、下の方の階からのクラブのような音楽の大音響が少々苦になったが、16年前に泊まったホテルで聞こえてきた音楽は「北国の春」中国語バージョンで、酔っ払ったオヤジによるカラオケのジャイアン風大絶唱だったことを思い出した。中国という国では、なかなか良い夢をみることができそうもない。

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